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長くこのコラムに私のさまざまな考えを「ひとり言」という名前で書き込んできましたが、トップページにも紹介していますがブログ( http://mtkaz.blog92.fc2.com )を開設しましたので、今後はそちらもご覧いただければ幸いです。
こちらにも書けばいいのでしょうが、いろんなことをいろいろ考えることも難しいものですから。
よろしくお願いします。m( _ _ )m
建築に使用される薬品(’07.2.7)
前回の続編になりますが、いま建築に使用されている薬品について。
まず思い浮かべるのが防蟻剤でしょう。日本には現在18種のシロアリが生息していますが、建築物を加害するシロアリは主にヤマトシロアリとイエシロアリです。そのほか、最近“乾材シロアリ”の仲間であるアメリカカンザイシロアリとダイコクシロアリの被害が増えてきています。
ヤマトシロアリは北海道北部を除く日本全土に、イエシロアリは神奈川県以西の海岸線に沿った温暖な地域と千葉県の一部、それに南西諸島、小笠原諸島に分布しています。
アメリカカンザイシロアリは千葉県以西の温暖な海岸線に沿った地域に散発的に発生しており、ダイコクシロアリは奄美大島以南に分布しています。(以上、「社団法人 日本しろああい対策協会」 http://www.hakutaikyo.or.jp/ からの引用)
九州は、前述した2種類のシロアリによる被害が発生する地域です。本来なら土台周りのみならず2階の桁周りにもシロアリ対策を講じるのが望ましいのですが、現実的にはコストなどの関係で土台回りにとどまっています。
最近の薬品は臭いもあまり無いために処理したことが分かるようにオレンジ色やチョコレート色などの色を付けていますが、それでもこれは絶対に安全だといえるものは現在まで残念ながら見当たりません。
建物は生身の人間が生活していく場所です。
いくら安全だといっても、やはり生き物を殺す薬品ですので、長期間その薬品の揮発にさらされて生活する人への影響が全く無いということにはならないのではないかと思います。
桧、ヒバなどは、シロアリが忌避する成分が含まれており、湿気や腐食への抵抗力も強く、さらに繊維との直角方向の歪に対する抵抗力が高いので土台として最適です。
このような材を土台に使用して、防蟻剤の使用を止めることも必要です。それでも未だ心配な方は、防蟻剤ではなく、忌避剤としての竹酢液や柿渋、チャコールペイント(炭塗料)などをお勧めします。
ただしこれらはこまめに塗りこむ必要があります。
ケミカルな薬品ではないのでとりあえずは安心ですが、使用前に臭気による人体への反応を確かめてください。
人によっては杉や桧などの臭いに反応する方もおられますので、自然素材だから安心と過信することは危険です。
以上のように、土台に使用する防蟻剤は、今のところ確実に安全だという製品はないと認識された上で、防蟻処理を検討してください。
こうした情報は、依頼された設計事務所や建設会社から上がってくると思いますが、体への影響が無いかどうか、面倒でも一つ一つを検証されることが大切です。
今まで何の反応も無かったから、これからも無いと言う保障は誰もありません。明日にでも化学物質過敏症やシックハウス症候群などの症状が出るかも知れないからです。
家の中には、防臭剤も置かれている家庭も多いことでしょうが、これも化学物質でできています。一通り取り上げてみると、香水、ヘアリキッド類、防虫剤、防臭剤、制汗スプレー、ヘヤースプレー、シャンプー類などなど。
これらの製品を使用することで何らかの症状が生じた場合、化学物質過敏症と言うカテゴリーになります。
これはシックハウス症候群とは似ていますが、シックハウスの場合は、その住環境から離れたら症状は治まりますが、化学物質過敏症の場合は、ある特定もしくは複数の製品が存在し、その気体が空気中に存在しているかぎり発症しますので、より厄介な病気です。それゆえに日常生活において、極力化学物質が発生しないような住空間にする必要があります。
明日は我が身であることを思い出してください。
シックハウス症候群と電磁波過敏症(’07.1.26)
現在さまざまな化学物質による空気汚染が原因となる人体への影響が問題視されたことから、建築材料においてシックハウスの元となる揮発性有機化合物(SVOC、VOC、VVOC)の空気中への発散量を制限した数値が決められ、発散量により建材の使用面積が建築基準法により制限されるようになりました。
合板・接着剤・塗料など使用される建材には、Fマークの後に☆マークが1つから4つまでの数が付けられます。
それは、星の数のによって室内でその建材の使用できる面積が制限されるということです。その内訳は
F☆の区分は
「第一種ホルムアルデヒド発散建築材料」、ホルムアルデヒドの発散速度>0.12mg/uhとなるので、内装材での使用は禁止。
F☆☆は
「第二種ホルムアルデヒド発散建築材料」、0.02mg/uh<同発散速度≦0.12mg/uh
F☆☆☆は
「第三種ホルムアルデヒド発散建築材料」、0.005mg/uh<同発散速度≦0.02mg/uh
以上の二つは使用面積が制限。
F☆☆☆☆(エフフォースターまたは単にフォースターと言っています。)は規制対象外で、ホルムアルデヒドの発散速度は0.005mg/uh以下となるので室内でのその建材の使用量は無制限。
以上により、ほとんどの建材メーカーは、家具用品も含めてF☆☆☆☆を取った商品を販売しており、我々設計者もF☆☆☆☆を基準に建材を決めているのではないでしょうか。
さらに、24時間換気をするための換気扇の取り付けと換気経路の設計が義務付けられました。
この換気扇の取り付け義務は全ての住宅に要求されていますので、コスト絡みで依頼主が抵抗する項目になっています。
それはともかく、F☆☆☆☆を使っていればシックハウスの心配は要らないと言うことでは有りません。
F☆☆☆☆といっても、揮発性有機化合物の発散量がゼロと言うことではありません。
合板、ビニールクロス、接着剤などの種類によりその発散量が制限されていますが、たとえばパーティクルボードでは、F☆☆☆☆はホルムアルデヒドの発散量は最大0.4mr/L以下と言う規定になっています。
と言うことは、その最大値を満たせばF☆☆☆☆になります。
その材料が床壁天井全てに使われていた場合、単純に言えば、その室内では0.4mg/Lの合算された発散量が生じることが考えられます(実際は定められた測定方法によりますが)。
これがシックハウスの心配のない、「健康的な住空間」といえるのでしょうか。
一度シックハウスにかかった人は、バケツの水理論で、それ以降、ほんのわずかなVOCで反応を起こしてしまうことが報告されています。今はシックハウスの反応を示していない人も、その状況下に曝されれば、症状が出る可能性は否定できません。
近年ではまた新たな問題が生じています。
それは電磁波の影響による電磁波過敏症です。
Electrical SensitivityとかElectrical Hypersensitivity などといわれており、微弱な電磁波(電場または磁場)をあびることで頭痛、胸痛、めまい、吐き気、あるいは発作を起こして倒れてしまうなど化学物質過敏症と同様の症状(電磁波過敏症ネットワーク http://www.gsn.jp/kabinsho.htm のHPからの抜粋)をいいます。
家庭で発生する電磁波は、家電品や蛍光灯を使用した照明器具、コンセントや壁内や天井裏に配線した電気のケーブルなどから発生しています。
ところが日本の家庭では、コンセントにアースを取る部分は非常に限られています。
それは水周りに使用する家電品(洗濯機、トイレの暖房便座など)や冷蔵庫、電子レンジなどで、全体のコンセントの数からすれば非常に少ない状態です。
理由に考えられることは、アース付コンセントは高いということと感電防止程度にしか考えられていなかったためじゃないでしょうか。
ところが最近ではオール電化によって、台所のコンロがIHに取って代わってきています。
これは磁力によって金属鍋を加熱する仕組みになっていますが、直火が無いために子供や年寄りのいる家庭では、やけどや火災などの防災面から積極的に採用されてきています。
電磁波の影響は、距離の2乗に反比例するというデーターがあります。
医学的には電磁波による人体への影響はまだ証明されていないようですが、現実的にESになった方も結構な数に上るようです。
そうした懸念を避けるためにも対応策として、家庭内のコンセントは全てアース付にする、電線は全て鋼管によって配線する、蛍光灯は全て白熱灯に変える、IHヒーターを採用する場合は遮蔽シールド機能があるエプロンを使用する、などを講じる必要があると思います。
確かにこれらはコストのかかることでは有りますが、ESになってしまうとそれどころではないのではないでしょうか。
シックハウス症候群や電磁波過敏症にならないような生活空間を作ることは、我々設計者にとっては職責であるでしょうし、依頼者の対して提案する必要があるでしょう。
なお、私はこのような問題の勉強のために、「NPO VOICE. らぼ」に参加することにしました。ここは化学物質過敏症(CS)でESでもある小山ゆみさんが立ち上げたグループです。
LOHAS(’06.10.30)
LOHASという言葉がよく聞かれるようになりました。
LOHAS(Lifestyles of Health and Sustainability)の略称で、日本語にすると「健康的で持続可能な生活様式」とでもなるのでしょうか。
「健康的」は分かるけど「持続可能」とはナニ?と思われることと思いますが、地球環境に配慮して自然を大切にする生活をすること、ということになるのでしょう。
現代社会の生活空間は電化製品に溢れ、電気無しでは一日でも生活できないような仕組みになってしまいました。
暑いとか寒いとかでエアコンをつけ、さまざまな情報はパソコンから入手し、また、排泄という最も生命体としての根源にかかわる部分も、今では水を流さないと清潔さを保てなくなっています。
生活の基盤となる電気や水道が止まったとき生活が維持できなくなることは、以前の暮らしよりもますます顕著になってきています。
大量の電気を作り出すためには発電所をどんどん作る必要があります(風力発電や海水による波力発電など、自然の力を利用した仕組みも増えてきましたが、まだまだマイナーなようです。)が、昔みたいに火力や水力発電よりも高効率なエネルギーが得られる原子力発電所を作ることが国策として進められています。
その結果としてナニが発生しているかは周知のとおりです。
そうしたことを反省し、極力電気を消費しない=原子力発電所を減らす=環境にやさしい=自然な素材を大事にする=人が健康的に生活する=持続可能 という考えを元に、エアコンを使わないで窓を開けよう。風を通そう。食べ物は無添加無農薬のものを食べよう。使うものは自然のものを購入しよう。と、このようなプリンシプルを持つ生活態度がLOHASです。
雨と建築(’06.08.18)
今日は台風が九州に上陸して、風はたいしたことないのですが大雨になっています。
雨の多いこの国の気候風土では建物の軒を出したり窓の上の庇は必須だろうと思いますが、住宅で流行りの箱型建築には軒や庇のない住宅が数多く見受けられます。
といっても、この傾向は昔からありました。
私も今より若いころは、海外の軒も庇もないシンプルですきっとした建築がかっこよく見えましたし、建築雑誌に取り上げられる建物もそのような傾向の住宅ばかりでした(現在も同様ですね)。
確かに写真写りもよく、いかにもデザインしたぞっと言う感じの建物になります。
サテ問題は雨の多いこの国の建築です。
雨はご承知のようにたいていの建築物よりも高いところのある雲からの水滴が落下してくる現象ですが、落下中に大気中のゴミなどをその表面に取り込みながら建物に衝突し、建物の屋根や外壁を流れていきます。
今では雨で濡れることで水膜を作り、汚れが落ちやすい技術が開発されていますが、コスト的にはリーズナブルな工事費で作られる一般の住宅に取り入れるのはまだまだ困難です。
外壁に当たった雨粒は外壁の汚れも一緒に取り込んで流れていきます。
その結果、その流れた後は汚れとして外壁に残ります。
特に窓枠の入り隅などは汚れもたまりやすいので、外壁の汚れもその部分が激しくなってきます。
外壁は、雨に流され、晴れた日は紫外線にさらされてどんどん劣化していきます。
5年以上経過すると、外壁の雨垂れによる汚れや、塗料などの紫外線による劣化によって水滴をはじく力が衰え、水が外壁の中にしみこんでいくことでシミ状の汚れが出来てしまい、建物の寿命に大きく影響していきます。
こう書いていくと、なんだか人の肌と同じに思えますね。水をはじけなくなった外壁は、水分を失ってきた肌みたいに思えてきました。
そうです、全く同じなんですね。
人は、雨のときは傘をさし日差しの強いときは女性は日傘を使用しますね。
それは体が濡れることを避け肌が紫外線でやられることを守るための行為ですが、建物も守るための行為は同じなんです。
それなのに、なぜ傘に変わる軒や庇を出さないのでしょうか。
軒を出すことで、外壁の雨による汚れや太陽による紫外線の影響を軽減しますし、庇は、降雨時でも雨を開けて通風を確保できますし、窓周りの汚れを防いでくれます。
軒や庇を出すことによるデザインスキームが崩れることを嫌うことは分かりますが、それをうまくデザインすることのほうが本当のデザインだと思います。
私が尊敬してやまない故宮脇壇氏の住宅も、庇や軒の処理をうまくデザインしてあります。
私にしてみれば、日本独特の雨戸の建築的な処理のほうに難しさを感じています。
デザイン的に雨戸がないほうがすっきりすると思っていても、依頼者から雨戸の取り付けを要求されたら、なかなかこれはというアイデアが出てこず、最終的には全体の外観の見直しをすることもあります。
外壁を膨らませてそこに仕舞うという方法もありますが、経済設計を旨とするローコスト住宅では、なかなか実現できません。
雨戸+戸袋、このワンセットには、いつでも悩まされます。
話がそれました。
雨の量の多いこの国の建築のあり方として、軒を出す、庇をつける、という設計は、もっと検討しても良いのではないでしょうか。
そして、余談ですが、雨水利用も。そのまま排水溝に流すなんて、モッタイナイ。
故郷の抱える問題(’06.08.14)
昨日、妻の実家のほうの墓参をかねてJRで長崎へ行ってきました。
長崎駅をじっくりと見る良い機会でしたが、昔の三角屋根のあった個性的な駅舎から全国どこにでもある駅ビルで無個性なものになった印象しか持てませんでした。
今までは長崎へは車で来ていましたので建て変わった駅は外観だけは見ていましたが、つまんない建物になっちまったなぁ(長崎弁講座:しょんなか建物になっとっばい)という感想しか持てませんでした。
今回初めてじっくりと建物の内外を観察しましたが、人が多いこと以外には何の魅力も感じさせない建物でした。
中に入っているテナントも安普請で作られていて、長崎という何らかのメッセージも伝わってきませんでした。どうしてこんなビルにしてしまったのか、残念な気がします。
しかし「長崎」というテーマを現すのに、レンガやメガネ橋・中国風建物といったようなステレオタイプの建築にも辟易しますが。
墓参りを終わらせ私の実家のある新大工町の方に歩いて向かいました。
そこは商店街ですので人の流れはそこそこあるものの活気がなく、歩いている人は半数以上が高齢者でした。
私が生まれてから高校卒業まで過した町が活気を失っているのを目の当たりにして、寂しさを感じてしまいました。
購買欲の少ない高齢者が多いせいもあるのか、あるいは商店街に出来た100円ショップの影響が大きかったのかは分かりませんが、実家も含めて商店街や某デパート(長崎○屋デパート)も売れ行きが厳しい様子です。
そのデパートの建物は全くリフォームする資金さえないのか汚れや痛みが激しく、そのことがますます商業施設としての魅力を失っており、そうやって集客力を落としていくという悪循環になっている気がしました。
長崎在住の友人の話によると、そのデパートの食堂で昼食を兼ねて打ち合わせをしていた時、ふっと顔を上げて見回したら客の中でその友人が一番若かったというくらい高齢者が多くなったそうです。
(べつに高齢者を非難しているわけではありませんので誤解がないように。近いうちに私もこのまま行けば高齢者の仲間入りになりますので。)
聞くところによると、以前は長崎一の繁華街であった浜の町も活気がなくなったとのことでした。
市の中心部には高齢者が残り、若者は郊外の新興住宅街に移り住み、そちらのほうには大規模のスーパーなどが出来ているため昔からの繁華街には足を運ばなくなったことが原因のようです。
これはドーナツ化現象、もしくはスプロール化現象といい、古い町が元気を失い寂れていく典型的なパターンです。
新大工町にも、以前はよく見かけた学生が少なくなりました。
私が行った小中学校は以前のままの場所にありますが、以前は近くにあった中学校(日本一狭いことで有名だった片淵中学校)と私の母校の高校が山の上に移動したことが原因のようです。
確かに長崎市内は階段と坂ばかりの町で車は自宅に横付けできないというように生活するには実に不便な街ですが、坂の街は長崎だけではなく全国的にもたくさん存在するはずですし、そのような街も同じような問題点を持っているもと思います。
そうした街と共同で対策を講じることも必要だろうと思いますし 行政もいろんなことを考えているようですが、残念ながら長崎ではなかなか決定打が見出せないようです。
新大工町はシンデイクマチと自嘲気味につぶやいた長崎在住の兄の言葉が胸に痛みました。私も故郷の現況を心配して、依頼もされないのに何か良い方法がないかとアイデアを練っています。
新大工街の活性化のためのいろいろな発想も出ますが、それを検討する場所や関係者に伝える手段がなく、もどかしい思いをしている状況です。
がんばれ長崎!負けるな新大工町、長崎○屋デパート!
建築士(’06.08.12)
耐震偽造問題からアスベスト、エレベーター、最近ではパロマなど、建築に絡む深刻な問題が目白押しで生じています。
エレベーターの問題は私も少々驚きました。
日常何の疑問も持たずに利用している装置が勝手に暴走して、乗り合わせた人が死傷をこうむるということは実に恐ろしいことです。
エレベーターは定期的に点検することが法律で義務付けられていますので、安心して利用できる機械であるはずでしたが、メーカーによる点検でなければ問題点の情報が継承されないままだったとは驚きです。
しかしエレベーターの事故が報道されたときに、正直言ってチラッと、ひょっとしたら、と考えなかったといえば嘘になります。
まさに利潤追求に血眼になっているアメリカ企業をはじめとする資本主義社会における企業の公徳心の欠落以外何ものでもありません。
良質で安全な商品を作ることが企業の社会的責任だと思っていましたが、どうやらそうでもなさそうな事件が多発しています。
この数年、自分さえよければ法律を犯していなければナニをやってもいいんだという風潮が蔓延し、そうしたしスタンスで金儲けに走った2名の人物が一時は大変もてはやされました。
一躍有名になったかの疑惑チャンピオンも。親子ともども態度の不遜さに不愉快な思いを持つ人も多かったと思いますが、TBSの全面バックアップによるメディアへの露出度合いが多いゆえに、なぜか人気を博しました。
日本人が本来持っているはずの謙譲の精神や、戦う前に礼をして相手を敬うという精神などから大きく逸脱しているにもかかわらず、強ければ何やってもいいんだという姿勢、それをバックアップしてやまないTBSという放送局の視聴率さえ取れればいいという節操のなさに、この国は未来へ引き渡せるような理念のある国では無くなって来ているような気がします。
自分さえよければ、自分の会社さえ儲かればいいんだという気持ちに、人間の尊厳は廃れてしまったようです。
そうした流れの上に、上記した問題があります。
武士は喰わねど高楊枝、ということわざがあります。
おそらく大部分の建築士は、歯を食いしばってがんばっているはずです。
いい建築を創るために掛けるエネルギーは、報酬額との比較からすれば、他業種から見ればあきれるくらい膨大な時間を掛けています。
それはひたすら依頼者の喜ぶが見たいという気持ちで何百時間も設計を続けています。
それだけに我々設計者と依頼者との間に信頼関係が必要ですし、信頼関係が構築できない仕事は間違いなくいい仕事になりません。
ビジネスライクに割り切って仕事をするか全身全霊をつぎ込んだ仕事として取り組むかによって、設計者の対応が違ってきます。
信頼関係が構築できないと感じたら、残念ながらその仕事を断ることも選択肢の中に入ってきます。
設計という仕事はできた商品を販売する仕事ではなく、これから作っていく仕事に対して依頼者がお金を払うという仕組みになっています。
設計への取り組み方は、設計者のモラルやフィロソフィーによって大きく左右されます。
それゆえに、全ての設計者が金儲けだけできればいいという考えで建築に取り組んだら、この国の建築のレベルは想像するだけでも恐ろしくなります。
しかし、現実は、そのような傾向で設計しただろうと思われる建築が圧倒的な数を占めていることも事実として認識していただきたいと思います。
貧しい建築士が多いということは、それだけその建築士は真摯に建築に取り組んでいるんだということを理解していただきたいと思います。
ほとんどの建築士は生活も苦しい状況が続いていると思いますが、姉歯のような人物は、必ずや淘汰されると信じています。
なぜならば、我々建築士はなによりも建築が好きだということ、そして依頼者が喜んでもらえる建築を懸命に考えているということ。
それゆえに、設計料はダンピングできないということを何よりも理解していただきたいと思います。
ましてや、設計料が無料だということは考えられないことです。
ゲストティーチャー(’06.04.01)
先日、大野城市の某中学校に、実際に働いている人から話を聞くという授業の一環として建築士が取り上げられ、そのスピーカーとして中学校の教室で30分程度の話をしてきました。
10年程前に専門学校で建築計画の非常勤講師をしていましたが、久しぶりに生徒の前で話しました。
中学校1年生の一クラスが対象でしたので人数としては遥かに小規模でしたが、専門学校と違って皆、真面目に聞いていました。
話の内容は建築士の仕事の内容・仕事の上での苦労・働くことの意義などでした。
時間が限られていた関係で少々早口で話しましたので聞き取りにくかったのじゃないかと心配しましたが、最後の質問コーナーでは、あらかじめ誰がどんな質問をするということが決められていたみたいで次々に手が挙がりました。
中には設計料はいくらですかという質問もあり少々焦りましたね。
建物が完成したときの気持ちはどんなですかという質問には、喜びと寂しさを同時に感じることは娘を嫁がせるときの父親の気持ちに近いかもしれませんと答えました。
実生活では娘は3人いますが、皆未だ誰も嫁いでいない(結婚なんかしないと言っているんです。我が両親を見て・・・)のでその時の気持ちは想像するしかないのですが、それまで一生懸命に大切に育て上げた娘も建物も、引き渡す時にはきっと同じような気持ちになるのだろうなと思っています。
中学生が一生懸命に聞いてくれていたので気持ちのいい疲れを残しながら終わりましたが、後日、生徒のみんなからお礼の手紙をもらいました。
中には、世界一の大工になることを目指していた生徒がいて、私の話を聞いて意を強くしたと書いてあり、うれしく感じました。
無名の建築士の話でも、生徒の心の中に何かが残ってくれるといいなと望むばかりでした。
ああ士族(’06.01.26)
去年の暮れから耐震偽造問題で日本国内は大揺れに揺れ(あ、いやいや、世論が です)ましたが、今年早々、今度はライブドアの問題で経済界が揺れました。
ことによると政治の世界も揺れるのか分かりませんが、年をまたいでいろんな事件が起きて揺れますね。
それにしてもいつの間にか日本人はこんなに民度が低くなったんでしょうか。耐震偽造もライブドアも、自分さえ儲かればいいという自己中心拝金主義が蔓延しています。
あ、ここの「拝金」が「配筋」なら姉歯さんに絡んでいますが・・・。単なる同音異義で、キーボードで叩いていたらこの文字が出たまでのことですので、お、お見逃しを・・・
そのいずれにもかかわっているのが建築士とか税理士とかの「士族」といわれているスペシャリストです。しかし、今度に事件にかかわった連中は金に取り付かれた「士族」です。
「士」という意味は
@官位・俸禄を有し、人民の上位にある者
A兵卒の指揮をつかさどる人
B近世封建社会の身分制度
C学徳を修め、敬重すべき地位にある人。立派な男子。また、男子の敬称
D一定の資格・役割を持った者
となっています。(広辞苑引用)
ま、Dの意味で十分なんですが、それにしても立派な意味が込められているものです。
特にCの内容なんか見ると、わが身を振り返って少々気恥ずかしい気がします。
ただ、「男子」に限定されていることに対して女性の方の反論は、広辞苑の編集者にしてくださいね。私にされても困ります。
ことほどさように、士族にはかなりな自覚を求められているのと同時に、そのような意識を持って業務に当るべきだという思いを新たにするべきです。もちろん私もですが。
話は変わりますが、今評判の「下流社会」という本に、「いま、日本は中流階級が減少し、上流と下流とに分かれつつあり、その上流階級を構成しているのは士族や・・・」という文章がありました。
ソレを読みながら、「俺も一応(建築)士族なんだけど・・・」と下流階級にどっぷりはまり込んでいる我が身を省みてぼやいていしまいました。
またまた話は変わりますが、士族といえば私の先祖はその昔は士族だったようです。江戸時代に生まれなくてよかった・・・。
武士でも階級が分かれていて先祖はどの階級だったのかは分かりませんが、親戚の家には立派な鎧兜を床の間に飾ってあるのを見たことがありました。子供の頃でしたのでかっこいいというより、鎧兜を被せた人型が怖くて余り近づきませんでした。
今度の事件で建築士の更新制度が創設されるようですが、このように建築士は、住民の生命・財産を安全な建築を作ることで責任を果たしているということはもっと広く認知されても良いのではないかと思います。
医者が命を救うのと大きな違いはないのではないでしょうか。
やっぱり、違いは大きいかなぁ・・・
疑問に思うのは、建築士の更新制度はあってしかるべきと思いますが、医療ミスも多い医者にも同様な制度を設けるべきではないかと思うのは、私だけでしょうか・・
それにしても、士族が上流階級を、ってか・・・・・
まだ、こだわっています。
マンション内覧会支援(’06.01.10)
少々遅くなりましたが、2006年が始まりました。
今年はスポーツ界のイベントが盛りだくさんのようです。冬季オリンピックやサッカーのワールドカップ等など。あ、それから野球のワールドカップのようなものものも始まりますね。
それぞれのスポーツに興味がある人は、今からわくわくしていらっしゃることでしょう。私は個人的にはサッカーに興味がありますが、特に何処のファンというわけでもありません。福岡にいますのでアビスパになるのでしょうが、TVに釘付けになるということもありません。
ところで年が替ったとたんに、構造偽装問題が少々影が薄らいだようです。
熱しやすくさめやすい国民性もあるのでしょうが、マスコミもその時々の流れに引きずられてというか先導して報道していますが、過去の重大犯罪の報道もそうですが、いつの間にか扱いが小さくなって知らない間に話題にも上らなくなってしまったケースが多いのではないでしょうか。
しつこく事実を報道し続けて、悪人が枕を高くして寝られないような世の中になって欲しいものです。
先日、マンション購入者からの依頼で、内覧会の立会いをしてきました。
このマンションの内覧会は「福岡内覧会支援スタッフ」 という名称で、長年懇意にしていただいている考現建築設計事務所の代表村井克彦さんと昨年一緒に立ち上げたもので、マンション購入者から依頼を受けて専門家の立場から内覧会において多方面の検査を代行するものです。まだまだ立ち上げて日が浅いので知名度は低いのですが、詳細な検査をするので依頼者からは感謝されています。
事務局は村井さんの事務所です。ホームページは http://fire.kakiko.com/nairankai/
で、内覧会での話ですが、一部上場会社の大手ゼネコンによる設計施工、販売は全国的に有名な会社の物件でした。
依頼者は大手ゼネコンということで安心していたようですが、某大手が木村建設に丸投げしていた事実が昨年報道されていたように、大手だから安心だということにはならないということがまだまだ理解されていないなと感じました。
建設業界の習慣で、建物の規模にも依りますが、元請のゼネコンは現場には現場責任者と数名のスタッフを置くぐらいで、実際の作業などはその下請け会社の社員が行います。
大手は実際には現場作業は行わないで、下請け会社へ電話してか呼びつけて「あんたの所は***円でやってくれー」など発注価格の交渉などをメインに行います。
現場でどれくらいの利潤を出すかがその大手の現場責任者の第一の業務ですし、そのことがその責任者の評価になり、出世するかしないかになるわけです。
現場の作業の出来不出来はほとんどその下請けの会社もしくは孫受けの会社のレベル次第です。
もちろん物造りに熱心な責任者であれば取り組む内容も違ってくるでしょうが、残念ながらそうした理由で大手だから安心ということは思い過ごしに過ぎません。
しかし、大手のゼネコンやハウスメーカーはそうした心理を利用することが上手いのでしょう。こ
ればかりは、無名な設計事務所の私にしてみれば歯噛みする思いです。
内覧会での検査は外回りも含めて約3時間ほど掛かりますが、施工時の写真や様々な検査報告書を依頼者を通して用意しているように伝えていたにもかかわらず準備していなかったことには驚かされました。
内覧会での専門家の検査を軽く考えていたとしか考えられません。
依頼者の手前、余りきつい口調で注意はしませんでしたが、1部上場の大手ゼネコンのレベルはこの程度だということが分かっただけでもよかったようです。もちろん、販売会社も同じでしょう。
検査結果は、後日、ファイル形式にして事務局から依頼者に送付されますが、このようなことが認知されて心配の少ない(問題の無いマンションは、残念ながら存在しないような気がしますが)マンションを購入される手助けになればという思いでやっています。
続耐震強度偽装問題’05.12.30)
この問題に関して続けます。
証人喚問は予想通りの期待はずれでしたね。一部の野党の議員の方に軍配が上がりました。
自民党の長口舌議員は、目的が何なのか分かっていなかったのか自分を売り込みたかったのか分かりませんが、福岡選出の議員ということで、なんともはや・・・・
ところで総研が編み出した鉄筋の量を減らすという「経済設計」という言葉が独り歩きして、「経済設計」=「手抜き」という捕らえ方になってきていることに懸念を持ちます。
彼らの言う「経済設計」は脱法行為でしかありえないことを耳障りのいい「経済設計」という言葉に置き換えたレトリックに過ぎないということを理解してください。
本来の「経済設計」は再記述しますが、依頼者に余分なコスト負担を掛けないということなので、必要な鉄筋量を削るとか必要なコンクリート強度を落とすとか言うこととはまるで違います。
たとえば、大きな硝子を使用して透明感を表現したデザインをしたとします。
確かにデザイン的には美しいものになるかもしれませんが、そのためにはアルミサッシや硝子は特注にしなければならなくなりますし、破損した場合のことを考えて強化ガラスやプラスチック系かもしくは硝子に飛散防護フィルムを貼る処理が必要になります。
こうやってドンドンコストは膨らんでいきます。
そのデザインが商業ビルやテナントビル、マンションなどの建築では、売れ行きに左右されるものになる面でのセールスポイントになることもあるので建築主を説得してコストアップを了承してもらえれば良いでしょうが、ほとんどの人がローンを組んで建てる住宅の場合にあてはめるのは疑問に思います。
私も意匠事務所ですので美しいデザインをいつも心がけています(いいデザインかどうかは別にして・・・(-_-;))が、コストバランスはいつも意識しています。
居住者にとっていい住環境を提供するために、提案したいこと、現在の環境問題から取り上げてもらいたいことなどなどからプランを作成します。
それでもなかなか一発で予算内に納まることはまれであることは正直に告白します。
話がそれました。
このように規格品を使ってデザインして余分なコストアップを避けることを「経済設計」と言いますので、総研や木村建設などが言っている内容とはまったく違うと言うことをこのコラムを読んでいただいている人には理解していただきたいと思います。
さて、鉄筋の量を減らしていることで耐震性が問題となっていますが、施工スピードの余りの速さからコンクリートの品質にも疑問を持っていましたが、やはり水がかなり入ったシャブコンを使用していたとの記事が出ています。
コンクリートは含水量が少なく、適正な養生を行うことで質のいいコンクリートになります。コンクリートは生き物ですので、私はコンクリートの品質にかなり神経を使っています。
鉄筋とコンクリートの関係は専門的になるので省きますが、水の多いコンクリートは施工スピードが上がります。
鉄筋量の少ない建物ではまるで水を流し込むような感じで施工したことでしょうし、さらに養生期間(コンクリートを流し込んで型枠の中で固まってもしばらく寝かせておく期間のことです。)も、通常決められている期間(気温にも拠りますが、最短で3日以上、気温が低いときには8日以上と公共事業の場合や一般的な工事で決められています。これは建築基準法ではありません。)も守らずに固まったらすぐに型枠をはずしていたのではないかと予想していました。
適正に作られたコンクリートは養生すればするほど強度が増し、本来ならば石の様な強い品質が確保できます。
こうしたことを省くことは施工期間の短縮になり、施工会社の利益は大きいものになりますので、たいていのコンクリートの現場では型枠をすぐ外したがります。
木村建設は通常の工期の半分で施工していたとのことですので、そのような方法で工事をしていたと思われます。
鉄筋の量も少ないのもひどい話ですが、コンクリートの強度も出ていないのではないかと思っています。
地震時には、鉄筋は粘りを分担しコンクリートは抵抗する力を分担しています。
人体でたとえると、鉄筋は筋肉に相当しコンクリートは骨に相当するのではないでしょうか。
筋肉が弱ければ骨が丈夫でも力は出ませんし、筋肉隆々でも骨がもろければ力の必要な作業は出来ません。
筋骨隆々と言って筋肉も骨も健全な人が頑強と言われるゆえんですので、建物もこれと同じと思えば分かりやすいでしょう。
それにしてもそんなにずさんな工事なのに、設計事務所の監理者は何をしていたのでしょう。
平成設計は木村建設の子会社ですので監理などはしていなかったと思いますので、現場ではやりたい放題という無法状態ではなかったのではないでしょうか。
しかし、平成設計以外の設計事務所も名前が挙がっていますが、彼らは何をしていたのか。
ずさんな構造設計の鉄筋量からさらに現場では鉄筋を減らしていたということも出ています。シャブコンだったということも。
とにかく、こんな状態を見逃したかもしくは監理をしていなかったとしか思えない能力の無いデザインだけの事務所は、社会の利益のためにも淘汰された欲しいものです。
さらに言えば、設計施工の恐ろしさももっと糾弾すべきだと思います。
設計施工では、現場で設計図と違う施工がされていることを指摘してやり直しさせることが可能なのでしょうか。
私には疑問に思います。
設計監理者も施工者も同じ会社の人です。
同じ会社から給料をもらっていますので、会社に損害を与えるようなことが出来るとは思えません。
やはり、設計と施工は分けるべきだと思いますが、今回のような監理能力の無い設計事務所もありますので設計事務所を選ぶ場合でも慎重になることが必要です。
名前を売ることだけに長けている事務所がたくさんありますから。
無名でも良質の建築を作ることに真摯に学習し、仕事に取り組んでいるまじめな設計事務所がたくさんありますので、そのような事務所こそ、もっとステージに立たせてほしいものだと声を大にして言いたいものです。
エッ?自分のことかって?イヤイヤイヤ、そんなド厚かましいことはよう言いません。私が知っている事務所に多いということを言いたかっただけです。ワタシモフクメテ・・・(^^ゞ
耐震強度偽装問題(’05.12.13)
明日、国会で「証人喚問」を行うようになりました。
今までは渦中の元建築士やデベロッパーの社長は体調不良を口実に参考人出席を逃げ続けていましたが、はたして証人喚問で何処まで解明できるのかがポイントとなるでしょう。
黒幕と言われる人物も登場してきました。
この黒幕は記者会見では知らぬ存ぜぬの一点張りでしたが、この人物がバックマージンといわれるものを取っていたことは十分に予想されることです。
それにしても口利き(このような人たちを「ブローカー」と言いますが)だけで総工費の10%もの金が苦も無く懐に入るという構図に、異常なものを感じます。
経済設計という名のもとでの設計・施工・販売がそれぞれにリンクし合って偽装の確信犯の行為を行ったということです。
販売会社は売れやすくするために販売価格を抑え、しかし利潤を高くするために工事費を押さえつけ、施工会社は契約した工費からさらに利潤を上げるために下請けの設計に圧力をかけ、設計は言うなりに鉄筋の数・躯体の断面積の寸法などをごまかし、その結果が今の問題になっています。
設計事務所も設計料を押さえつけられ、生活のため木村建設の言いなりになったのでしょう。
全てが自己がよければそれでよしとする意識で、社会に対しての責任を丸めてゴミ箱に放り込んだ状態です。
こんな醜態をさらけ出して次代を担う子供たちに何を伝えられるのでしょうか。
販売価格も他の同規模のものより安かったのだろうと思います。
一部に、マンション購入者にも一般より安く購入した責任があるから工費で補助することには反対だという意見もあるようですが、少々酷なような気がします。
誰しも同じものがより安く手に入るのであれば、その時点で欠陥マンションだという情報が無い限り安いほうを選ぶのでは無いでしょうか。
このことは巷に100円ショップが氾濫していることも同じのような気がします。
100円ショップの商品が簡単に壊れたり機能的に満足しなくても、私も同じですが所詮100円だからと諦めています。
店が欠陥商品で訴えられたなんて事は聞きませんが、これと同列には論じられないにしても安ければいいという思いは同じではないかと思います。
商品にはすべからく適正価格というものがあります。
その商品が持つ性能を満たすための製造コストは、積み上げていくと必ず最低限必要な原価というものが存在します。
通常はその原価に利益を載せて販売されるのですが、競争社会のこの国では他社との競争に勝つためにコストダウンを迫られます。
そのためには何かを省かざるを得なくなります。利益の幅を削るか(企業がするはずもありませんが)機能の一部を省くか製造にかかる時間を減らすか様々な手法が考えられると思います。
そのにその製品が本来持つべき機能の一部が省かれるか劣る性能を持たせることでコストを下げて販売されます。
最近の電化製品は以前に比べると安くなってきましたが、その反面簡単に壊れるようになっていることでもわかります。安かろう悪かろうといわれる物になっています。
建築でも同様なのですが、例えばベンツのスペックをカローラに求めても無理なことは分かってもらえると思いますが、なぜか建築に関してはその常識がなかなか通用しません。
車は飽きれば買い替えられますが、高額な買い物の建築に関しては簡単に買い換えられるものではないので、だからこそしっかりした住宅や建築を作ること、マンションを購入することが必要なのだということに気が付いてほしいものだと思います。
スペックが他と同じなのに他より安いものには何かが隠されています。設計料に関しても同じことが言えます。
設計料をダンピングしている事務所が数多存在します。
企業努力でコストダウンを計っているのであれば何も言うことはありませんが、とてもまともに設計・監理が行えないはずの金額を提示するので建築主は喜んで依頼します。
安いということが良心的だと思われます。
しかし本来、我々が示す良心的ということは、建築主が期待したレベル以上の建築を丁寧で間違いの無い仕事で提供することではないでしょうか。
そのような意識で取り組んでいれば、今回の姉歯元建築士のような事件は生じなかったと思います。
無謀なダンピングでは、生活やスタッフへの給料・外注先への支払等を考えると当然のように不足します。その不足分は必ずどこかで補わないと事務所として存在できるはずがありません。
このコラムにも書きましたが、私の自宅のマンションの大規模改修の際に、改修設計監理を委託する事務所を数社選び見積もりを出してもらったのですが、私がもし改修設計監理をするならばこれくらい掛かると思った金額の3割以下の金額を出してきた事務所が2社あり驚きました。
余りの安さにその事務所の仕事の内容や取り組む姿勢に関していろいろ調べましたが、やはりそれなりのことをしている事務所であることが分かりました。
もちろん証拠となるものは存在しませんが、私も一応同じ業界にいますので聞き取り調査だけでも分かります。
ではどんなことをしているのか、ということですが、ここには書きません。ここまで読まれた方がすでに見当が付いていると思いますので。
建築主が分からないように裏で建築主への裏切り行為をしている事務所が、金額が安いから良心的な事務所だといえるのでしょうか。
人によっては建築主が分からないならそれで良いじゃないかという考えもあるかと思いますが、私はそのような考えにはとても同意できません。
プロとしての良心が問われています。
このように適正価格からのダンピングは、商品の購入者に対しての背信行為が隠されていることに意識を持つべきでしょう。今回の偽造問題の根に、このような問題がたまたま表出したに過ぎないように思われます。
ただ今回のデベロッパーという建築主も偽造に加担しているようですので、関係者全部が購入者への裏切り行為をしていると思います。
このような行為をする企業が淘汰されることを期待します。
悪人の連鎖(’05.11.28)
今、世間の注目を集めている構造計算の改ざんの問題です。
設計事務所というところはデザインから構造から建築設計に関することは何でもすると思われていることでしょうが、実際は各分野の内容がかなり専門化しており、それぞれの専門家に依頼することが実情です。
一般的に、表に出る設計者の名前は、いわゆる意匠事務所もしくはデザイン事務所といわれている所です。
ここでは建物の平面計画・外観デザインなど、普通の方が目にすることの多い部分を受け持っています。
丹下健三氏や黒川記章、磯崎新氏、安藤忠雄氏、伊東豊雄氏など、有名建築家はこのカテゴリーに入ります。次にその建物の強度などの検討をする事務所もしくはセクションが受け持ちます。その分野が構造設計というカテゴリーに入ります。
今回の問題になった事務所はこの分野に入ります。
トイレとか風呂周りなどの水やお湯の配管・空調のレベルの設定、電気設備関連の設計など、設備関係の一切を設計する分野が設備設計になります。
このように、建築は全て意匠+構造+設備の各分野でのおのおのの専門家が力を合わせて図面を完成させる仕組みになっています。
各分野を全てまかなえる事務所は大手の部類に入ります。
ほとんどは建築主から直接依頼を受けた意匠事務所(元請ということになりますか)が、構造は構造設計事務所、設備は設備設計事務所にそれぞれの設計依頼をすることになります。
通常は意匠事務所の依頼主は建築主で、構造事務所や設備事務所の依頼者は意匠事務所ということになります。
このことが今回の事件で、元請の設計事務所も糾弾されている理由になっています。一般の方は設計事務所が何で何社も出てくるのかと思われる方も居られるかも知れませんが、こういう理由になっています。
と、ここまでは設計事務所の仕事の流れをお伝えしましたが、さて今回の事件です。
渦中の設計事務所は、発注者(今回の場合は施工会社なのか建築主なのかはっきりしませんが)からのコストダウンの要求が厳しかったからと言い訳していますが、耐久性の無い構造設計をしても許されるものではないのは常識です。
1級建築士という国家資格を持っているスペシャリストならば、だれよりも責任が重大であることの自覚が欠落しています。
かなりの数のマンションの構造設計を手がけていたようですが、たぶん構造設計料は通常の構造設計料よりかなりダンピングしていたのでしょう。
しかし、設計料をダンピングすることは当の設計事務所の自己責任です。ダンピングした分、数をこなしていかないと生活できないので言うことを聞かないと他に変えるぞと脅かされて言いなりになったということです。
渦中の設計事務所に依頼している会社にとって、なにかと都合がよかったのでしょう。
市場経済社会であるこの国では、他社との競争に勝ち抜くことが目的になっています。
ヒルズ族といわれている人たちも、所詮は勝ち抜くための戦略がうまく行った結果なのでしょう。
他よりも安く仕事をすることで仕事の確保をしていくことは何処の業界でも見られることですが、安くすることと鉄筋量を減らして設計をすることはイコールになるはずがありません。
施工会社からの要求が鉄筋量や構造の断面積を減らすことであるならば、その結果がどういうことになるのかはプロならば分かることではないでしょうか。
経済設計というレトリックで正当化しているように見せかけていますが、経済設計と違法設計や手抜き設計とは根本が違います。
建築主に必要以上の費用負担が掛からないように心がけて設計することが経済設計ですので、今回のケースとはまるで異なります。施工会社も、プロがやっているので、明らかにおかしいと思わないこと自体、手抜きとしか考えようがありません。
民間の確認処理代行社もずさんな審査だったことで糾弾されています。
同じ業界にいるものとして、他山の石とせねばならないことを感じています。
しかし、私の実体験からも依頼者から建築基準法を逸脱する要求があり、拒否すると結構嫌味を言われますし、次からは声が掛かりません。
「石部健吉のようだと仕事は来ないぞ。」などと脅す人もいましたね。
石部健吉って誰のことか分からなかったのですが、設計事務所はそんなに建築主の言いなりになっているのかしらと疑問に思ったこともあります。
だから今でもビンボーなんだと、妙なところで納得しています。
今回の事件の設計事務所は、そんな要求に負けたのでしょうね。生活が掛かっているからとか言っていますが。
それじゃ、何も知らない欠陥マンションを多大な借金を背負って購入した人の生活はどう考えているのでしょうか。
夢を持って購入したマンションが、ある日突然、地震で壊れるマンションだったと分かったとき、その人たちへどう責任を取るのでしょうか。とても取れません。
怖いことです。しかし、今回の事件をきっかけに、悪質デベロッパー、設計事務所、建設会社が少しでも減ってくれれば嬉しい限りです。
友人の死(’05.10.21)
先月の7月中ごろに、学生時代の頃からの友人が急逝しました。
3ヶ月が経ちましたが、いまだに私の中の寂しさが消えません。
プライベートのことなのでここに書くのはふさわしくないのかもしれませんが、彼へのレクイエムをこめて書かせてください。
彼の名前は山口といいます。
彼は、数年前に愛妻を事故で亡くし、お母さんと二人で暮らしていました。
奥さんが亡くなったときにも、大阪在住の友人関係に連絡して焼香を上げに大阪まで行きました。
私は日帰りというわけにはいかなかったので、彼の自宅近くのビジネスホテルを取っていてくれました。
線香を上げた後、数年ぶりに集まったので同窓会を兼ねて皆で近所の居酒屋で飲みました。お開きの後、ホテルまでの帰り道すがら「ちょっと寄って行けへん?」という彼の誘いに、二人で焼きソバ屋さんに入りました。焼きソバを食べながら、「ここはよく嫁さんときたとこや」と、しみじみと言っていました。
その言葉の中に、愛妻を事故で失った心の中の寂しさがひしひしと感じられ、「そっか・・・」としか言葉が出ませんでした。
焼きソバ屋を出た後、ホテルまでの道すがら河川沿いの公園の中を歩きましたが、そこで友人が「ここはよく一緒に散歩したとこや」と独り言を言うように言っていました。この言葉を聴いてソレまでこらえていた涙が次々にあふれ、どんなに愛していたのか、どんなに寂しさに耐えているのかが分かり、ただただ、涙しました。
置いていかれた者の孤独感が胸に詰まりました。
聞いたところ、朝、彼が「出かけてくるよ」と奥さんに言って、仕事が終わって帰ってきたら救急車が自宅の前に止まっていて、何事が起きたかと思い駆け込んだら奥さんが亡くなっていたとのことでした。
こんなことがあるのかと、聞いたときには愕然としました。
朝、会話していた妻が、何の前触れも無く突然奪われてしまうということに対する彼の虚脱感、孤独感は計り知れません。
そして、悲しいことに、彼には何の落ち度も無いのに、自分を責めていました。俺があの時出かけなかったらこんなことにならなかったんやと。
その言葉を聴いたとき慰めようも無く、ただただそばに立ちすくんでいることしか出来ませんでした。
彼とはよく電話で話をしていました。といっても、もっぱら向こうのほうから掛けてきましたが。
私と同じように仕事が少なく、それでも私以上に建築のことが好きでした。本当に建築のことをよく勉強していました。彼から教えられることも多々、ありました。
電話では、建築の話とか現在の状態のこととか様々なことを忌憚無く話しました。
お母さんと二人きりになった今年の5月ごろでしょうか、しばらく電話が無いなと思っていたら、ある日の早朝に掛かってきました。
普段は22時頃に掛けてくるので嫌な予感がしたのですが、案の定、「お袋が、逝ってもうた」という電話でした。
ようやく奥さんを亡くした寂しさから少しずつ回復してきていたのでよかったと思っていた矢先でした。
またまた「そうか・・・」としか言えませんでした。
その後の彼からの電話は、寂しいという気持ちが痛いほど伝わってきましたし、紛らわせるために酒の量も増えているようでした。
福岡に遊びに来いや、と伝えていましたが、向こうは向こうで「大阪に遊びに来いや」と言うばかりで、お互い貧乏設計事務所の所長同士ですので旅費も簡単には出ません。
それからぷっつりと電話が掛かってこなくなり、最初は忙しいのかなという程度にしか思いませんでしたが、妙な胸騒ぎがして頻繁に電話をしましたが、留守電になっていたり携帯にかけても呼び出し音ばかりでした。
少々焦り気味に4、5日ほどしつこいくらいに電話をかけつづけたところ、やっとつながったと思ったら近所に住む彼の兄さんが出ました。
その瞬間、分かりました。
そして、兄さんから、次の言葉を電話口で聞きました。
「***(友人の名)は、4日前に、急性アルコール中毒で死んだんですワ。」
電話口で固まりました。
エッ!エッ!という声しか出ませんでした。
とにかく線香上げにそっちに行きますから、と伝えてから、大阪の友人に連絡しまくりました。
皆同じように電話口で固まったようです。
7月21日に私の他4名で彼の自宅に行きましたが、お兄さんが事務所内に彼の遺影と線香を用意してくれていました。
本の虫だったので、図書館でもやれそうなくらいの本があふれかえっていましたが、その中に亡くなった奥さんの写真が大事に飾ってありました。
本当に本当にこんなにも奥さんことを愛していたんだなと、皆で改めで気が付き、彼の優しさにも改めて気が付きました。
しかし、これで寂しさからも開放され、天国で奥さんやお母さんに会えたのだろうと思っています。
皆にあえてよかったな、山口。
俺もそのうちそっちに行くから、そんときゃ、帰ること気にしないで心行くまで奥さんと一緒に飲もうな。建築の話もいっぱいしような。
アスベスト問題(’05.09.10)
現在、ニュースで大きな問題になっているのが「アスベスト」といわれる材料です。
日本名では「石綿」といわれています。
本来、アスベストとは自然界に存在する素材です。耐火性、耐摩耗性、耐薬品性、簡単に入手できるためコストが安い、といったことで用途として3,000種類くらい利用されているほど多岐多彩に及んでいます。
特に、そのうちの90%程度が、建材に使われています。
簡単に上げると、石綿スレート、サイディング、住宅用屋根材(いわゆる「コロニアル」)、硅酸カルシウム板、耐火被覆材、などすぐにいくらでも上げることができます。
その中でも特に問題となるんのは、最後に上げた耐火被覆材として、天井裏や鉄骨材の耐火のための吹付けに使われているケースです。
アスベストは周知の通り、細かい繊維を吸い込むことで肺がんを誘発させることが社会問題になっています。
しかし、現在のように社会問題になるずいぶん前からアメリカあたりでは使用禁止になっていたことがはっきりしています。
ところが、日本では何でもそうですが、犠牲者が大量に生じだして初めて規制に乗り出しています。薬害エイズの教訓はまったく生かされていません。
故丹下健三氏が設計した東京都庁のカーテンウォールのジョイント部分にアスベストが使われていたのが問題になったことがありました。
それからもうずいぶん経っていますが、国土交通省などではそのことを広報し、アスベストの全面使用禁止に乗り出すということはしませんでした。
なぜでしょう。
都庁の問題があったことからすでに知っていたのにです。
しかも、いまだに建築基準法では、耐火性能を満たす建築材料としてアスベストの使用が決められています。
それに替わる建材が見当たらないという理由から、当面の間、現行法規で進めようということだろうとは理解できますが、ことは国民の生命にかかわる問題です。早急な対処を求められることと思います。
さて、耐火被覆材としての吹付けられたアスベストですが、皆さんの周りですぐに眼にする場所いえば、大型店舗などの屋内駐車場でしょう。
ほとんどのところは鉄骨造で、柱、梁、むきだしの天井などに綿のようなものが付いているのをご覧になると思いますが、ソレが「石綿(アスベスト)吹付け材」という耐火被覆材です。
同じ用途で使用され、見た目も同じ「岩綿(ロックウール)吹付け材」にも付着力を高めるためにアスベストを混入しています。
消防法や建築基準法では、駐車場のような発火性の高い材料(車のガソリンタンクのこと)が保管されている場所では耐火性能が要求されています。
その耐火性能を満たすために法的に認められた建材のなかの一つが使用されているわけです。
我々建築士も数年前からアスベストは健康被害の恐れがあるということくらいは知識として有していましたので、この6,7年前くらいからノンアスベストの建材を使用するようにしていましたが、それ以前の建材は、ほとんどといって良いほど上記した建材にはアスベストが入っていました。
アスベストそのものは静的状態では問題を生じることはほとんどないようですが、を加工したり撤去したりすることによってアスベストの微細な繊維が空中に散乱し、ソレを吸い込むことによって肺がんを生じさせるということのメカニズムが発表されています。
我々建築関係者は、ほとんどの人が昔から現場でサイディングの加工やスレートの加工の立会いをしてきていますので、アスベストの繊維は肺の中に入っていることと思います。
建物の解体現場に立ち会ったこともあります。そのような場合、作業員は防塵マスクはつけていることもありますが、我々のような設計監理者が防塵マスクをしなければいけないくらいに作業の場に長時間いるわけでもないので、特にマスクをつけることは無かったものです。
わたしも、数年後かには肺がんの予備軍です。タバコも吸わないのに・・・
と、まあ、ここで嘆いても仕方ない。なるようにしかなりません。
アスベスト問題は、国、メーカー、建設業界がこぞって協力して対処しない限り、解決策はすぐには見出せない深刻な問題のようです。
今まで便利で安くて性能もいい建材がじわりじわりと悪魔の建材になってしまいましたが、今現在、もてはやされている様々な建材や商品の中にも、数年後、人に危害を及ぼす材料だったと分かることも多いことでしょう。それはそれで仕方の無いことでしょう。
自然界にあるものは安心だと思っていても、このアスベストのようにサイレントキラーが存在するのですから。
ちなみに、ロックウールとアスベストはよく混同されます。ロックウールは「岩綿」と日本語では表現されていてアスベストとは異なります。
今のところロックウールに関しては何も問題がないようですが、これも上に書いたように、将来は分かりません
時代が進むにつれて、今日、環境にも人にもいいと思われていたものが問題のある因子を持つことが分かり、それに代わる材料が製造され、次の時代には新たな問題が発見され・・・・終わりの無いスパイラルに入り込んでしまいます。このことは、食文化にもリンクしていますね。
耐震診断(’05.07.23)
最近、社会的に問題になっている耐震性能を高めるといった謳い文句で、意味の無い金具を取り付ける悪質リフォーム業者が摘発されています。
訪問販売と同じようなスタイルで家に上がりこみ、天井裏や床下など、素人の居住者が普段は余り入り込まないような場所に入り込み、写真を撮って、すぐにでも対応しないと大変なことになるというように、さも大変なことを発見したかのようなことを言い、居住者をパニックに陥らせてリフォームの法外な金額の契約書をその場で書かせるという手口が紹介されていました。
実際の工事はまったくお粗末で、不要な器具を取り付けているようです。
しかも悪質なのは、年金生活者や高齢者だけの家族の家を狙い撃うちしているところに悪魔の仕業のようです。
高齢者の家族の家は、老朽化している建物がほとんどだろうということは誰でも簡単に予想できます。
詐欺商法で社会的に問題になった豊田商事の記憶もまだ消え去っていないはずなのに、なぜこのようなことが起きてしまうのか考え込んでしまいます。
私たちが一般的な耐震診断(一般診断)を行う場合、その場で補強の方法や使用金具などの結論を出すことはほとんどありません。
なぜなら、資料を持ち帰り強度の検討をして、その建物の強度レベルをだします。
その上で危険度が高いとのデーターが出た場合、より精密な診断(精密診断)を行います。その結果を元に、補強場所、方法などを提示することになります。
このように、検討する時間を要します。
検査の際には、建物の平面図・立面図などを用意していただきます。
両方無い場合は、平面図だけでもかまいません。古い建物の場合は両方とも無い場合が多いので、その場合は現地で実測しながら平面図を作成することになります。
平面図の必要性は、柱の位置・筋交いの位置の確認と、建物形状の確認のためです。
建物は凸凹の少ない四角形が最も安定しています。
これは建物の重心と剛心が近いために、建物がねじれを起す度合いが低くなるためです。
そうはいっても、凸凹がまったく無い建物は少なく、採光や通風などの居住性を高めるために凸凹が生じてくるのは仕方の無いことです。
その理由から、平面図を作成し、重心と剛心の確認が必要になります。
この重心と剛心は、建物の壁の位置や量によっても動きます。
これは平屋でも2階建てでも同じです。構造計算上は筋交いの入っていない壁は計算に乗りませんが、古い建物では土壁が残っています。
これは強度としては計算に乗せることが出来ます。
改正法規では、筋交いはバランスよくいれることが決められています。
より細かく書くと専門的になりますので省きますが、筋交いの取り付く位置が重要になります。
以前は、計算で要求される筋交いを入れていけば良かったのですが、阪神淡路大震災時の倒壊した建物にねじれが多かった反省から、バランスのいい配置が要求されるようになりました。
このような理由から、平面図は必ず必要になります。
したがって、平面図も確認しないでいきなり床や天井に潜り込む検査はまったく考えられないことですので、これだけでも専門知識の無い業者だということが判断できます。
平面図から筋交いの位置などが分かれば、それからやっと天井裏に入り、筋交いの目視での確認作業になります。
平面図が無くて筋交いの確認が出来ない場合は、壁の位置で計算することになります。
筋交いの確認のあとで、小屋の構成の確認などを行います。
筋交いの位置の確認はなかなか難しく、天井裏の懐が少ない場合は確認できないことがほとんどです。
検査する機器もあるようですが、筋交いなのか壁内を通っている設備の配線なのかまでは判別できませんので、あまりそのような器具を当てには出来ません。
筋交いの位置が分からない場合は、壁の位置・量で計算します。
天井裏の確認が終わったら、次に床下の検査・確認に移ります。
このように、本来の検査という作業は手間と時間がかかります。
潜り込んですぐに「これはひどい」などという言葉は出るわけが無いのです。
確認した後、問題があると分かっても、知識の在る専門家は、「すぐに補強しないと大変なことになる。」というような脅かしの文句は使いません。
なぜなら、上に書きましたように構造計算の後で、補強の個所、方法などをお伝えすることになるからです。
もちろん補強の費用にかかわることですので、その辺は慎重になります。
現場検査の後、計算による耐震診断をした上で、かなりな補強をしなければ安全にならないとの結果が出た場合、そのコストや日常生活面を考慮して(壁量が増えますので、支障が出てくるのは明らかです。)非常にまれですが建替えをアドバイスすることもあることをご理解していただく必要もあります。
「専門家だから安心して任せたのに」という発言もたまに耳にしますが、われわれ建築の専門家に依頼すれば、鼻の下をサマンサのようにクニュクニュと動かせば(この意味が分かる人は私と同世代ですネ)どんなに問題のある建物でも必ず大丈夫なようになると思い込まれても困ります。
建築の専門家として現状の建物の耐震性能の検査・補強方法の検討をし、その結果、補強して安全な状態に改修することは可能でも、そのための結構な費用、新たな壁などが生じることによる慣れるまでの不自由さや明るさの減少、さらに生活しながらの改修工事による精神的なストレスなど、さまざまなリスクを生じます。
そのような内容を総合的に判断して、建替えをお勧めすることもまったく無いわけではないのですが、そのときの我々の心境も結構、辛いものがあります。
ここで注意していただかねばならないことは、その場合でも補強金物という製品(実際は補強になっていませんが)で改善できるという悪質フォーム業者の発言にすがりやすい心理状態に陥ることです。
確かに建替えよりははるかに安上がりのように思われますが、何の効果も無い金物をやたらと取り付けて法外な金額を取られてしまった被害者を、明日はわが身だと思っていただくくらいのほうがいいようです。
地 震(’05.03.28)
福岡で3月20日朝、地震が発生しました。
ほとんどの人は北部九州には地震は無いものと思い込んでいる人が多かったことでしょう。
私も、福岡に’85年に来て以来、福岡での体感地震は今まで2,3回くらいしかありませんでした。
生まれは長崎ですが、故郷を離れるまで地震の記憶がありません。
東京に居た頃は毎月のように揺れていましたが、それも震度3以下の程度で、1度だけ4の経験がある程度でした。
そんな状態でしたので、今回のように私の居る春日市で震度5強の揺れは生まれて初めてでした。
PCで書類を作成していたときでしたが、最初はドドドと床が波打つような地鳴りがして、なな何だ?と思った後、ゴーっという大きな音とともにゆっさゆっさ揺れました。
これからわかることは、確かに地震波は伝わってくるのだということです。
と、まあ呑気なことは言っていられなかったのですが、何はともあれ揺れ具合から、この程度では事務所のある建物(築30年)は古いけど壊れないだろうという漠然とした思いとともに、私の設計した建物のことのほうが心配でした。
揺れはおおよそ7〜10秒程度だったような気がしますが、阪神大震災のようにもう一桁震度が大きくて揺れの時間が長かったら、この建物も壊れていただろうということは想像に難くありません。
後で気がついたのですが、建物が壊れたときの非難口としての玄関ドアを開け放しにすることを忘れていました。
冷静なつもりでも結構、あせっていたようです。
揺れが収まった後、ソレッとばかりに私が設計した住宅の方々に電話を掛け捲りましたが、やはり不通でした。あわてて建物の点検のために車を走らせても、たぶん渋滞になっているだろうということは十分予想できましたので、とにかく電話で無事の確認だけをしようとしました。おかげさまで、どちらにも被害が無く、心から安堵しました。
建築基準法の構造基準で、北部九州の地震時の係数は0.8になっています。
関東地方のように大震災の恐れのある地方は、係数は1.0で決められています。それだけ北部九州は地震の発生率は低いと見られているわけです。
係数が低いということは、構造材の強度、寸法、鉄筋の本数などが関東地方に比べると軽減されるということで、とりもなおさず建築コストが安くなるということを意味しています。
しかし、これからは北部九州も係数を0.9程度に上ることになるのでしょうか。
地震・雷・火事・***は昔から怖いものの代表のようです(最後の***は好きなものを入れてください)が、確かに最初の2つは逃げられないものですから怖いものの最たるものですね。
北部九州は、地震よりも台風などの風害や大雨などの水害のほうに注意を向けていましたが、これからは関東地方並みの耐震性も意識する必要がありそうです。
建物の耐震性向上の方法のひとつに免振工法というものがあります。
これは簡単に言うと、建物の基礎の部分にローラーもしくはゴム状のものを設置して、揺れを吸収させようという考え方です。もちろん住宅にも可能ですが、スケールメリットからみて住宅の場合は依頼者からの要望が無い限り実現は困難ではないかと思いますが、これをきっかけに増えてくるかもしれません。
今回の地震で、古い事務所ビルからガラス割れて歩道の上に次々と落ちていく映像を見ました。
奇跡的に死者は生じなかったようですが、ガラスの恐ろしさをまざまざと見せ付けられた気がします。
もっとも、そのビルのガラスの止め方は、古い建築のため耐震性を考慮していなかった方法だったようです。
最近は、住宅でも吹抜を設けて天井いっぱい迄ガラスを多用することで、すっきり見せるデザインが流行っていますが、地震によるガラスの落下を見るにつけ、住宅の室内でおきたらと想像しただけでゾッとする思いです。
シックハウスと建築界(’05.03.10)
いま、建築を利用することでさまざまな人体への影響が現れてくる現象をシックハウスと呼んでいることは広く知られてきました。
私が独立した1986年当時、住宅の内部仕上げはほとんどがビニールクロス仕上げで、窓は当たり前のようにアルミサッシで構成されていました。さらに、木造なのに柱や梁を外に出さない大壁つくりが多かったのですが、これは今でもツーバイフォー住宅はこの方式で構成されています。
その当時、雑誌に載るようなファッション住宅やハウスメーカーで作られている住宅などを見るにつけ、ビニールクロスのような呼吸しない建材ばかりで作られた空間に人が生活していることに疑問を持ちました。
壁やガラスはびっしょりと結露で濡れてしまい、さらに壁の中に隠れた木はいったいどんな状態なのか誰にも分からないということへの疑問、それは例えると、まるでビニールの中の金魚みたいではないかと。
しかしビニールの中の金魚は金魚鉢に入れ替えてもらえますが、人はずっとそのような空間に身をおかないといけないということ。
これは決して健康的な生活を送れるはずが無いと思いました。
当時はシックハウスなどという言葉はまだまだありませんでしたが。
寒冷地を除けば、高温多湿のわが国では調湿性能を持つ材料を使うべきだし木も呼吸させるべきだと思い、壁は漆喰または和紙、構造は柱梁を現す真壁造り、土台は猫基礎(今で言う基礎パッキン工法)で作ろうと決めました。
そして、窓も可能ならば木製で作ることも試みてきました。
大壁造りのほうが見た目にもすっきりしていますしデザイン的にも洗練されているように見えますので意匠事務所としてはそちらに魅かれるところですが、住む人が快適に過ごせるようことを最優先に考えて、最初の住宅である「筑紫野の家」から現在まで、そのスタンスは守り続けています。
おかげで今まで作った住宅は、結露はあまり発生しませんし、驚いたことにアトピーのひどかった依頼者の子供が、入居して数ヶ月でアトピーがすっかり直ってしまったそうです。
これも呼吸する材料にこだわってきた賜物だと自分を褒めています(誰も褒めてくれませんので)。
最近はシックハウスという言葉が知られるようになってきて、材料は自然素材を使う流れが主流になってきました。
建材も以前に比べると珪藻土とかシラス土から出来た建材など驚くほど種類が増えてきて、漆喰しか選べなかった頃からすると隔世の感があります。
しかし、今の流れに少々居心地の悪さも覚えているのも事実です。一過性の流行にならないだろうかと。
建築は結構流行というものに流されてしまいます。
モダニズムが流行れば猫も杓子もモダニズム建築を作り、それが廃れるとポストモダンが流行り、さらにデコンストラクション、軽い建築、透明な建築などとさまざまな当世流行の建築に乗り遅れまいとしています。
ファッション建築雑誌や一般向けの雑誌にも流行の建築を華々しく取り上げます。
そのためにも若手はスター建築家のまねをして雑誌に売り込み名を揚げようと懸命です。
エコという言葉が流行ると、それまではエコのエの字も発したことの無い地元では少し知られた設計者が、ある日突然エコロジー建築こそこれからの建築だとの論文を新聞に載せます。
モダニズムの権化かと思われた建築家がポストモダン建築の殿堂を東京に作り世間を唖然とさせたことも記憶に新しい出来事でした。
そのような建築士の節操の無い姿勢を見ていて、今の流れに不安感をぬぐえない気持ちは偽らざる感情です。
大手のハウスメーカーもシックハウスをテーマにすることで今は商品が売れることは間違いないでしょうから。要は売れさえすればいいのだという姿勢が透けて見えてしまうのは、ウガチすぎでしょうか。
シックハウスより他に新たに売れるテーマが見つかったら、設計業界、ハウスメーカーはそろってそっちのほうに駆け出すのでしょうか。
シックハウスに対する今後の姿勢が、これからの建築界に問われているような気がします。
「先生」と呼ばないで(’05.02.10)
一般的に、私たちのような建築士は、建築関係者からは「先生」と呼ばれます。
子供の頃は「先生」は学校の先生しか居なかったはずなのですが、社会人になっていろんな業種のことが分かってくると「先生」と呼ばれる業種の人の多さに気づかされます。
学校の教師は当たり前のようですが、なぜか医者、弁護士などのいわゆる有資格者。さらには市町村議員から国会議員までの方々。それと、芸術家、作家などの自由業。驚くことに、芸能人や、TVで不遜な態度で謙虚さのかけらも見えない占い師なども該当します。
こうやって挙げてみると、「先生」という言葉にこめられている意味を読み取ってみる必要がありそうです。
「先生」と呼ばれることでなんだか偉くなったような錯覚を起こしている人が居るようですが、そうしたことをその言葉を使っている人は、内心ではあざ笑っているのかもしれませんね。
「先生」といわれるほど馬鹿でなし。という格言?があったと思いますが、この格言を戒めにして、もっと謙虚な態度を心がけるべきではないかと思います。
こんな私も「先生」と呼ばれますので、それは止めてくださいとそのつどお願いしていますが、なんだかそういう風にお願いすること自体が不遜なような気がしてきましたので、最近はお願いすることもしなくなりました。この業界での慣わしならそれも受け止めるしかないなと思います。
しかし、「先生」と呼ばれるたびに、誰のこっちゃ?と思いますね。
社会人2年生の若い頃(そんな時代もあったんだなぁ)、住宅設計を仲間と協同で行い、施主の家で大工さんと設計趣旨や施工内容に関して打ち合わせをしている時、大工さんが「先生のお考えは、○○○なんですね。」と言って来ましたので、てっきりその大工さんの知っている先生がそう言っているものだと思い、「あ、そうなんですか、同じですね。」と返事して、その大工さんがエッというような顔をして私を見つめました。
私もそのときン?というような顔をしていたような気がしますが、たぶん間の抜けた表情だったでしょうね。なんせ、「先生」なんて呼ばれたことが無かったもので、それが私のことだとそのときにはまったく気がつきませんでした。
振り返るとおかしくて笑ってしまうようなことですが、それにしても当時は私よりはるかに年上の大工さんが、駆け出しの若造を「先生」なんて呼ぶこと自体、まったくおかしな慣習です。
そうしたことの延長上にありますが、おおよそわが国における言葉の意味を考えずに使用しているケースが多いことが気になります。
すべて自己満足なのでしょうか。
昔なら普通に「歌手」と呼ばれていた人たちが、最近では猫も杓子もアーチストです。
そもそもアーチストとは、その人に芸術的な創造性が存在しているはすの言葉なのですが、学芸会並みのタレントもいまやアーチストと呼ばれていて、本人たちもなんら恥ずかしくもなさそうです。
「建築家」という言葉もそうですね。このコラムの最初に書いていますのでこれ以上は書きませんが、やはり変ですね。
人間は誰しも自分をよく見せたいという欲望があることは否定できませんが、それならばその言葉にふさわしい人物なり技量なりを獲得した後、万人が認めるようになった時に喜んでその呼称を受け取るべきではないかと思います。
実るほど、頭の垂れる稲穂かな
この言葉をいつも気に留めています。でも、なかなか中身も収入も実らないんですよねぇ・・・・
欠陥住宅かどうかのチェック2(’05.01.14)
外壁のチェックです。
外壁が塗り物(モルタルなど)で仕上げられている場合、窓周りの四隅にクラックが入っているケースが多いことと思いますが、これは欠陥とまではいえません。モルタルなど水でこねて仕上げた建材はコンクリートもそうですが、窓の四隅のクラックは避けられないものと思ってください。
もちろんクラックが大きくならないような施工方法はさまざま開発されていますが、それでも完全になくす方法はなかなか困難なようです。
建材と水の割合というものは、それこそ現場でビーカーに入いれて計ったりしていません。
経験からの判断、悪く言えば目分量。そして気候などの条件の影響、工事場所の環境の影響など、いろいろな要因が絡んできますので、研究室内のような恵まれた環境での前提条件とは異なることも念頭に入れる必要があります。
さて、窓の四隅のクラックはさておき(おけるのかどうかの議論はこの際、無しにして)、その四隅以外の外壁の大きな面に何らかのクラックが入っていないかどうかのチェックをしてください。
入っていた場合、その位置と向きの確認も必要です。斜めに入っている場合、建物のねじれが生じている可能性があります。
水平に入っている場合、柱などの木材の収縮もしくは圧縮による変形の可能性があります。
次に、外部の4隅に立ち、目を外壁に沿わせて垂直を計ってみます。
何気なく膨らんでいるような箇所がありましたら、外装材の剥離もしくは建物の沈下による影響も考えられます。
建物の周囲の土の状態、基礎の状態などを合わせて、そのすべてに当てはまるようでしたら建物の歪みもしくは沈下を疑う必要があるかもしれませんので、その場合は専門家に検査を依頼したほうがよろしいでしょう。
既存の住宅の検査は、骨組の状況が見えない中での検査になりますので、器具を使えないような箇所などでは、目視でのチェックに頼らざるを得ないケースも多いですが、建物外周の土壌の状態のチェック・基礎のチェック・外壁のチェック で、大まかの判断は出来ると思います。
屋内のチェックは、壁のクラックの状態や建具の動きが以前と比べてどうか、もしくは板などの床材でしたら、床にビー玉を転がしてみることで判断できます。
もっとも、この辺に関しては書かれている本がたくさんありますので、そちらに任せることにします。
簡単に2回に分けて書きましたが、建物の歪みがある場合は、小さな地震でも被害は大きくなりますので、専門家へ検査依頼をされることをお勧めします。
費用は、検査項目や箇所数にも拠りますので事前に確認したほうがよろしいでしょう。
ただし、突然訪問して検査を無料で行うような業者には注意してください。欠陥住宅かどうか心配されている方に付け込んだ詐欺行為で被害にあうケースが多発しています。
欠陥住宅かどうかのチェック1(’04.09.21)
住宅の取得は、一般的に殆どの方にとってかなり高額な投資です。
私たちのように設計事務所に設計・監理を委託されるケース、建売住宅やハウスメーカーの商品を購入するケース、建築条件付で土地を購入することで住宅を建てるケース、工務店もしくは大工さんに依頼して建てるケースなど、住宅を取得する方法は様々ですが、念願の住宅が出来上がり喜び勇んで引っ越して住んでいるうちに様々な問題が生じてくることに直面することも残念ながら後を絶ちません。
マスコミや法規制で一般的にも認識されてきているシックハウスの問題もその中のひとつといえますが、ここでは欠陥住宅の問題を取り上げます。
建築物は、残念ながら何らかの欠陥ははらんでいると思っても差し支えは無いと思います。
その症状は人の生活習慣病にも似て目に見えないところで徐々に大きくなって行き、ある瞬間から一気に露呈すこともありますし少しずつ長期間にわたって出てくることもあります。
設計事務所が厳正な監理を行っていたとしても、欠陥は防げるものではないことは正直に申し上げます。
ただ、このように第3者の目で監理された建築物は、そのような欠陥はそのほかの建築物に比べてその度合いは低くなることは間違いの無いことです。
が、監理の技術力の乏しいデザインだけに力を入れている事務所や経験の浅い事務所での監理は、正直いって心もとない気がします。
デザイナーと建築士とはスタンスが違うと思いますが、どちらを選ぶかは依頼者の判断ですので、どちらにもいい面と悪い面はあります。
ここでは、引渡しを受けた住宅に何らかの欠陥があるのではないかと懸念されている一般の方を対象に、住宅のチェックの方法を書きます。
メルマガ形式の方がいいのでしょうが、気が向いたときに何回かに分けて書きますので、このコラムの方が気楽に対応できます。
同じ設計事務所の方には既知のことが多いでしょう。なお、このコラムを読まれて我が家がどうなのかを知りたいと思われる方はご連絡ください。
まず、土壌の状態のチェック
建物の周辺が土が現しになっているのであれば、建物に沿ってぐるりと回ってみてください。
建物の周辺の土が他に比べて盛り上がってきているようなところはありませんか。
引渡し時には通常は整地されているはずですので、建物の周辺が盛り上がっていることは考えにくいことです。(外周部がモルタルの場合は、モルタルの割れが生じて盛り上がってきますので判断できますが、境界までコンクリートで覆われている場合は、判断が困難になります。)
もしそのような状態のところがあり、それがある一定の長さ(建物が面している長さ分)盛り上がって居るように見受けられたら、まず建物がその方向に沈下していることを疑ってみてください。
次に、基礎のチェックです。
同じように基礎の外周をぐるりと見まわって、ヒビ(クラック)が入っている箇所を確認してください。
基礎はコンクリートで作られているケースが多いのですが、コンクリートはクラックが入るものだと思ってください。
問題はそのクラックが構造的な影響のあるものかどうかの見極めが必要になります。
一般的に言えば、髪の毛よりも細いクラック(ヘアークラック)はあまり問題ありませんが、ヘアークラックが局部に集中しているようなケースは要注意です。
巾が1ミリ以上になってきているクラックは、基礎の沈下の問題の確認をして、問題なければ補修で処理します。
建物全体の構造的な問題が無くとも、それくらいの巾になると雨水が入り込み、中の鉄筋を錆びさせる事になり、結果として基礎の強度低下になりますので補修が必要です。
最も簡単な補修方法は、クラック面をサンダーで削り巾を広げて雨水が入り込まないように変性シリコンなどのシーリング材を充填します。
基礎のクラックが多数見られヘアークラック以上のものの数が多いようでしたら、これも建物の沈下を疑ってください。
建物の沈下が生じると、外壁にも多数のクラックや歪みが見られるようになります。
外周の土、基礎の状況の把握が出来たら、外壁周りを丹念に調べます。
ここから先は次回に。
建物の緑化(’04.07.26)
独り言を長いこと休んで知る間にアッという間に梅雨が開け、北朝鮮問題やら曽我さん一家の問題やらでなにかとホットな話題が新聞をにぎわしていますが、盛夏の折、皆様への暑中見舞いをかねて都心のヒートアイランドに関して書きます。
都心部のほとんどの建物は平らな屋根(陸屋根といいます)で構成されています。福岡の人ならお分かりでしょうが、天神アクロスのような木々で覆われた屋根を構成している建築物もありますが、これは非常にまれなケースです。
さて、この陸屋根は水平に近い状態ですので太陽の光を目いっぱい受けます。
ということは太陽の熱もどんどん吸収していきますが、屋根から空中へ反射する光および熱も発生します。
さらに都心部には事務所建築や店舗などが密集しているため、空調機がフル回転していて室外機から熱気が排出されます。
もうひとつ忘れてはいけないのが自動車からの廃熱です。
エンジンの熱やエアコンを利かせているための熱がどんどん放出されています。
都心部は、この複合した熱気で覆われてしまい、ただでさえ暑い季節をますます暑いものにしています。
このような空気の中に置かれた建築物は、上記の屋根からのみならず壁からも太陽熱以外からの熱気も吸収してきます。
建築物の大部分はコンクリートもしくはそれに似た建材で作られています。コンクリートは水と同様の比熱の大きな材料ですので、昼間は熱をどんどん溜め込み、日が暮れて建物の温度より気温が下がってきたら、溜め込んだ熱気を空中に放出していきます。
これではいつまでたっても大気が冷えるときがありません。(ちなみに、こうしたコンクリートの持つこうした性能を生かした冬場の輻射暖房として利用する設計手法もあります。何だか、ちょっと某タレントのウンチクの口調っぽかったですが・・・・)
このように、上空から見て都心部だけが熱気がこもったような状態を島に見立ててアイランドと呼び、暑いという意味のヒートという言葉をくっつけてヒートアイランドとし、このような現象を「ヒートアイランド現象」と呼んでいます。
こうした現象を少しでも和らげるために、屋根や外壁に緑をめぐらせて熱気の空中への放出を少なくしようという目的で、屋上緑化や建物緑化、敷地内での緑化を促進させようという活動がようやく一般的にも認識されてきました。
私も数年前に長崎で建てた「夫婦川の家」では屋根に土を乗せて芝を張ることを実現しましたが、屋上は緑にとっては最悪の場所にになりますので、芝や緑への給水装置の設置やこまめな散水を忘れてしまうと、あっという間に枯れてしまいます。
しかし、この屋上緑化は居住者にとっても有効な選択肢でもあります。
屋上の土は断熱材としての機能があります。
優れた外断熱の材料になります。
東京都では、既存の建築物の屋上を緑化するための補助金制度がありますが、屋上を緑化するということは緑などの木々のみならず、それを育てるための土を乗せる必要があります。
最近は、わずかな土の厚さでも緑が育つような土壌が商品化されていますが、それでも荷重が増えることは間違いありませんので、構造のチェックをされることをお勧めします。
勾配のある住宅の屋根も緑化できないものかと考えたこともありますし現に実現しているケースもありますが、やはりコストとメンテナンスの関係で、私は残念ながら実現に至っていません。
昔は、民家の屋根は藁などで葺かれていました。
これですと、太陽の熱気も藁屋根の大量の空気層で和らげられ、しかも大気に熱気を反射することもなく、その意味でも捨てがたい材料ですが、建築基準法では、屋根材は不燃材でなければならないとなっていますので、都市計画地域では不可能です。葺ける職人さんも材料も少なくなってしまった現在では、ノスタルジーでしかないのでしょうか。
しかし、ヒートアイランド現象と思うだけでも、汗が出てしまいます。
フゥ〜!
黄金週間(’04.05.04)
世間は黄金週間という年末年始および各学期ごとに休みがある学生や、毎日が日曜日のような特別な境遇の人(私を含めて)を除いて、もっとも長く休暇が取れる季節の真っ最中です。
自営業の私には無関係なようですが、周りが休暇で弛緩状態にあると、仕事に集中力の持続時間が短くなるという羽目に陥ります。
ここのところがいまだに意志薄弱だと反省しきりです。
この機会を利用して、能天気な私もちょっとは考えました。近年、頭が固くなってきたなと感じるようになり、脳みその皺をも一度つけたほうがよさそうだ、そのためには何がいいんだろうと常日頃模索していたのですが、どうやら数学的な発想を鍛えなおした方がいいと。
といっても、いまさら大学で習ったような高等数学?はどだい無理なことは分かっていますので、何か良い本はないものかと本屋で探していたところ、面白そうな本を見つけいま毎日読んでいます。
すっかり錆びついてしまった脳みそに油をさすような感じで、なかなかキシミ音だけがでてうまく回転しません。
しかし、読み進むにしたがい、日常的にある問題が生じたとき発想を変えればもっと簡単に解けるようなヒントがあるような気がしました。
発想を切り替えるといってもできそうでできないのがわが単細胞の脳みそなので、そう感じてもそういう風に発想ができて生かせるかどうかは、また別問題ですが・・・
さて、それではこれをお読みになられている方へ、この本の中にある面白いのを2つばかり出しますので、よろしかったらお考えいただいて答えが分かったらお知らせください。
抽選で一名様に私から「オメデトウゴザイマス!」(染の助、染太郎楽風で)のメールをお送りします。
では問題です。<出展は 「数学トリック」 樺 旦純著 三笠書房 から抜粋>
@1+2+4+8+16+32+64+128+256+512 を暗算で計算しなさい。
A高速道路を走っている2台の自動車が、反対方向、つまり上りと下りから向かい合って30分後にすれ違います。1方の自動車は時速160kmで走り、他方は時速155kmで走ってます。ここに1匹のハエが一方の自動車から出発し、時速170kmでもう一方の自動車まで飛んで行き、次に、またもとの自動車に戻る。このように2台の自動車がすれ違うまで往復運動を続けるとしたら、このハエは何キロ飛ぶことになるでしょうか。
なおAの問題で、「スピード違反じゃネーカ」 と思わないでくださいね。
設計責任(’04.04.19)
私の自宅のマンション(事務所の方ではありません。春日市の大谷にあるマンションです)が、昨年から10年目の最初の大規模改修工事を行い、3月に無事に終了しました。
改修工事の設計監理は居住者でもある私にして欲しいと管理組合から依頼を受けましたが、地上14階建ての300世帯の規模は個人事務所の私には荷が重過ぎますので、住民代表の専門家として設計事務所や施工会社の選定にかかわってきました。
それはともかく、10年間住み続けていますが、このマンションのいくつかの設計ポリシーにずっと疑問を持ち続けています。
その1つは、外部から敷地内への立ち入りは全く自由で、防犯に関しての対応策もオートロックのみというお粗末さ。
毎年、夏には隣接している市への提供児童公園で、深夜にたむろしている若者が何のバリアーもない敷地内に入り込み、夜中に酒盛りなどして騒いだり、暴走族も自由に入り込みたむろする始末。警察もコンビニへの対応に追われすぐに来てくれません。
居住者は、防犯カメラの設置や民有地であることの表示のための門塀の設置に莫大な費用がかかるため、セキュリティ面でどのようにすればいいのかという対応に頭を悩ませています。
このような状況を、このマンションの設計者は分かっているのでしょうか。
私の大学時代の卒業研究は都市計画を採りましたが、その当時でのアメリカでは、集合住宅の居住者への防犯設計がすでに第一義的に考慮すべき設計理論として謳われていました。
確かにその当時の日本とアメリカの犯罪の発生件数は比較にならないほどの差があったことは認めますが、それから数十年経過して、わが国でも犯罪件数が年々増加している社会的傾向を認識していれば、このような防犯面がすっぽり抜け落ちている集合住宅を臆面もなく設計することは、建築家を自認している設計者なら恥ずべきことではないでしょうか。
見栄えにコストを掛けて、肝心な居住者のセキュリティにはコストを掛ける発想が欠けていたのでしょう。このあたりに、デベロッパーの販売戦略に従ったことが見て取れます。
事務所運営のためなら仕方のないことだと反論もあるでしょうし、そのことは私も否定しません。
しかし、建築家と称することは恥ずかしいのではないでしょうか。
敷地内の建物の外部空間の貧困さや各住戸内のプランも居住者の立場に立った肌理細やかさがなく、さらに監理面でのお粗末さは目を覆うばかりです。こようなことから、改修工事にこの設計事務所に声を掛けませんでした。
デザインしかできない事務所に、しっかりした設計監理が任せられません。
自分が設計した建物がどのような状況なのかという程度のリサーチは行っていないのでしょうか。
分譲マンションでは居住者と設計者の接点は見当たらないのは止むを得ない事でしょうが、居住者の立場に立った設計がなされていないということが設計事務所への信頼を無くしていくことになるのではないかと懸念しています。
バレンタインデーとホワイトデー(’04.03.16)
建築にまったく無関係な話です。
少し前(と本人は思っています)の大学生のころ、卒業研究のために研究室で友人と図面を書いていた深夜に、製図板にへばりついている私達のところに同級生がやってきて、「チョコレートもらった」とニマニマした顔して報告しに来ました。
ん?それがどした?と友人と二人してワケワカンネーコトイイヤガンナー、コノイソガシートキニという気持ちを隠して無視していましたが、かの同級生曰く「あれ、バレンタインデー、知らないの?」
ここでようやく友人と一緒に彼のほうに顔を向けて、二人とも???というような顔をしていました。イッタイソレハナンノコッチャと。
説明を聞いてつくづく思ったのは、子供のころにそんな風習が無くてよかった。あったら惨めだったろうなぁーと思うと同時に、お菓子やの戦略にまんまと乗ってしまう国民性に(と、少々オーバーですが)あきれてしまいました。
ところが、それからしばらくすると今度はホワイトデートと云う日が設定されました。いやはや、もうなんとも言葉もありません。
学生時代には幸いにも?チョコレートの攻撃を受けずに無事に卒業できましたが、社会人になって生命保険のおばちゃんから初めてもらったチョコレートに戸惑いました。
ま、まさか・・と。しかしそれが義理チョコという代物だったことを知ったとき、安堵したのは正直な気持ちでした。
今度は義理チョコとか本命チョコとかあるそうな。
それにしても、なんでこうも文化と関係ないイベントが好きなんでしょうか。
省みれば、クリスマスもクリスチャン以外の人には本来は無関係でしょうが、最近はハロウィンなどというイベントも活発です。
話がそれました。
もらったチョコにお返しとしてのホワイトデー。それはそれでありがとうの意味でいいのかもしれませんが、なんで数倍返しになるのでしょうか。
義理チョコにもお返しがいるのでしょうか。
独立して以来、バレンタインデーでのチョコレートは幸いにも妻からだけになり、お返しを考えるのも楽になりましたが、ところでこのチョコレートも義理チョコ?・・・・
ウィルスに感染!
事務所を移転して新しいPC(WIN XP)で作業をしていましたが、今月の半ばに突然画面に「ウィルス検知」との警告文が出て、進入したウィルスはソフトが削除してくれましたが、感染したあるファイルがどうしてもPCから排除できないとの文字が出たままでPCの動きも極端に反応が遅くなったため、やむを得ずリカバリーしました。幸いに勝手にメールを送るタイプではなかったのでほかの人に迷惑をかけなくてすんだことにホッとしましたが、それと同時にこんなにウィルスをばら撒く犯人に怒りを覚えました。
昨年末から妙なメールがたくさん来るようになりました。ホームページを見てのことだと予想しますが、特に海外からのメールが増え、それが仕事に繋がる話ならうれしいのですが、とにかくいかがわしく怪しいのばかりでした。なんだかいやだなぁーと思っていたところにこの状況になりました。
ウィルスに感染しないように神経を使っていましたが、つい無意識で何かの操作をしてしまったのでしょうか。
それにしてもいつもはウイルスソフトは普段は何に役に立ってんだろうと思う程度で、まるでネズミを捕らなくなった猫みたいなソフトだと小ばかにしていましたが、やるときはやるもんだと感心したと同時に、ウイルスソフトに悪口言ってごめんなさいと頭を垂れました・・・嘘ですが。
メールを指定して着信拒否にしていますが、敵もそこら辺は考えていると見えて、送信者のアドレスを少しずつ変えてアウトルックの監視をくぐってきます。
そこで、こんなに怪しげなメールが来るのを何とかして阻止したいもんだ。ウイルスソフトにも申し訳ないと(思いませんが)言うところで、思い切ってメールアドレスを変更しました。これから新しいアドレスも宜しくお願いします。
引越し(’04.02.01)
1月15日に事務所を引っ越しました。
今ままで自宅内の一部屋を事務所として使用してきましたが、手狭になってしまい、使い勝手も悪かったので清水の舞台から100回ほど飛び降りるような気持ちで移りました。
引越し前日にPCがおかしくなり、引っ越した翌日に何とか立ち上げようと悪戦苦闘していました。
荷物がまだまだ片付かない状態でしたので、とりあえずのつもりでコタツの上において作業していたのがまずかったのですが、PCを乗せたままコタツを移動しようと強引に押したところ、コタツの足がボキッと折れPCが床に落ちた瞬間、私は顔に数千本の罫線が引かれた状態で固まってしまいました。
もはや万事休す。
大慌てでとにかく新しいPCを買い足し、今までのPCは修理に出す羽目になりました。
何とかデーターだけでも生き返ってほしいと祈る思いでした。そんなこんなで、ようやく本日、HBに書き込めるようになりひとまずヤレウレシと喜んでいる次第ですです。
それにしても、こんなトラブルのときのバックアップはどうしたもんでしょうか。CDに残していても、肝心のPCがウンともスウとも言わなくなった場合、頭の中にいろんな方法を必死で思い巡らせましたが、残念ながらPCにそれほど詳しくない我が単細胞の脳みそでは、いかんともしがたいものでした。
家相('03.09.03)
住宅設計において、たびたび出る話がこの「家相」という問題です。
設計事務所の仲間も、この問題に頭を抱え込むことがよくあります。
私も住居系の設計に避けて通れないこの「家相」に関して、いろんな書物に目を通し、知識を得てきました。
「家相」と言う考えは、平安時代に中国から日本に渡ってきました。
ということは、それまでの日本は「家相」にこだわらずに住宅が作られてきていたわけです。
このことは後述するとして。
昔の中国では、権力者が人民を支配するのに都合のいいような理論を作り出すように部下に命じ、その結果、「地相」「人相」「家相」「手相」「印相」の5相というものが考え出されました。
この相によって戦争を仕掛けたりあるいは戦争を避けたりしたようです。
現代でも、どこかの国の大統領が、占星術で同じように政治を動かしていたらしいということが判明しました。
ここでお分かりになるように、いわば占いの中のひとつに「家相」があったわけです。
それが日本に渡って来て中国よりも雨の多い日本の風土に合わせてデフォルメされて、今日まで存在しています。
江戸時代では、家相見なる職業の人が各邸宅に売込みに行っていたということが書物に残っています。
平安時代までは、「家相」に縛られないで建てていました。
もちろん「家相」という考えそのものがなかった訳ですから、住宅は生活の知恵をよりどころとして建築されていたことは間違いないだろうと思います。
肝心なことは、この生活の知恵というものに要約されると思います。
「家相」の中には、おどろおどろしい記述が多いことに驚きます。
「何々をしなければ、邪気が入り込み病気になり家が滅びる」式の記述が圧倒的に多いことに気付きます。
人は誰でも古今東西、自分の行く末に不安を持ちながら生きています。そうした事に対してのエールになるのであればいいのですが、残念ながら「家相」を読むうちに気が重くなりますし、「家相」とおりにしないととんでもない災いが降りかかると不安になってしまうのも無理はありませんしそれが狙いなのでしょう。
「家相」とおりに建てて永遠に平和で健康で幸せに暮らしましょうという考えが、根本にあるのでしょうか。
しかし、私のような設計者には、?マークが頭のてっぺんにたくさん立ち上がってしまいます。
人の一生の間に病気ひとつしない人が果たしてどれほどいるのでしょうか。
人の一生は、苦しみ、悲しみに見舞われることも多く、だからこそ喜びも倍加するのではないでしょうか。
365日間、何の苦しみも悲しみも味合わなければ、それが当たり前になり、喜びも感じなくなるのではないでしょうか。
人は環境に慣れてしまうものです。
「家相」どおりに建てた住宅と、何かしら「家相」の中の要素に抵触した住宅(おそらく、圧倒的大多数の住宅が該当することでしょう。)との両方に住んでみて検証した結果、そのような事実があったということならば理解できます。
しかし、現実的にそれは無理なことですので、その両方のタイプの居住者に対して追跡調査のような検証をした上で出された家相の本が過去にあったのでしょうか。
平安時代の住宅の作り方をそのまま現代に当てはめてしまう考え方にも理解に苦しみます。
エアコンも断熱材も無い時代の住宅の造りは、確かに台所を西に持っていけば冷蔵庫も無いので食物は腐敗する可能性が高かったことでしょう。
それを避ける生活上の知恵から、台所を西に作ることは避けなさいと書かれているものと解釈するほうが正しいのではないでしょうか。
現代でも、台所は西側を極力避けますが、それは主婦が長時間使用する部屋への西陽を避ける意味から計画するものであって決して家相で禁じられているからではありません。
遮光、断熱を十分対応していれば、西側に作ることも何の問題もありません。
鬼門の考え方も同様です。
ここで書くと本が一冊できるくらいになるので止めますが、こうした事例からも、現代の住宅のあり方と家相が入ってきた住宅のあり方には大きな違いがあるということを理解する必要があります。
私が言いたいことは、人の住いというものは古来からの気候風土に根ざした生活の知恵を尊重していけば、おのずから「家相」に書いているようなことに合致していくものであって、始めに「家相」ありきでは無いということです。
ましてや「家相」どおりに建てないと祟りがあるなどという脅かしに近いような考えは間違っていると思います。
家相屋さんに対して無責任だと思うことは、人に対して畏怖を持たせるのであるならば、上に書いたように検証したうえで論じてもらいたいということです。
所詮は占いの一種であると考えるほうが、利用する人にとって賢明な考えではないでしょうか。
当たらぬも八卦、当たるも八卦の世界です。であれば、いいことだけを聴き取りましょう。そのほうが気持ちが軽くなります。
盲目的に何が何でも家相という人は、残念ながら、私達建築の専門家のアドバイスよりも建築には素人である家相屋さんの意見を尊重してしまいます。
親身になってしたアドバイスを聞き入れていただけない場合、やむを得ず設計を断らざるを得ないことになり、その結果、そのほとんどは、実に住みにくい住宅になってしまうことが多々あるという事実。このことのほうが、私達にとって恐怖以外何物でもありません。
それでもやっぱり、「家相」どおりに建てないと怖いのでしょうか。
神仏にすがるという信仰心は否定しませんし目に見えない何かに畏怖する感情も否定しませんが、こと「家相」に関しては、生活の知恵の部分のみを抽出するべきであって、従わないと祟りがあるぞという脅かしに乗る必要は無いということです。
そのようなことを吹聴する人物、家相屋たちは責任を取るのでしょうか。
実に住みにくい住宅にしてしまうことに対する責任を取った例を見たことがありません。このことは、家相を盲目的に信じる人への背信行為といってもいいように思います。
最後に、過去に私の知人が経験した話を書きます。
知人は東京のとある土地で住宅を担当しました。
奥様からなにがなんでも「家相」とおりに設計して欲しいと強い要望があり、その強い要求にご主人は困ったような苦笑いを浮かべ、所長も止むを得ないといった状態でさじを投げたようなかっこうでした。
設計事務所としては、本来ならば断ってしかるべきだったのでしょうが、彼にしてみれば所長の指示どおりに動いていました。
作成した基本設計を家相屋さんに見てもらい、その方の指示どおりに修正することがかなりの頻度でありました。
その家相屋さんは、当時、TVでも良く出ている有名な方のようでした。なんだかまるでその人が設計者じゃないかと思えるくらい細かいところまで指示して来ましたが、彼は納得いかねーナァとぼやきながらもせっせと仕事に励みました。
その著名な家相屋さんからこれで完璧とのお墨付きをやっともらい、工事にかかり、数ヵ月後に無事に引き渡しました。
それからおおよそ半年後、そのお宅の大黒柱が通勤の途中、交通事故で亡くなりました。
奥様は、家相どおりにしたのに何で、と、家相屋さんに抗議したところ、くだんの家相屋さん、家相どおりにしたからご主人だけで済んだですよと、奥さんに伝えたそうです。
その後、奥さんはその家を売り払い、その著名な家相屋さんの著書全て焼却したそうです。
精霊流し('03.08.18)
8月は長崎出身者にとっては特別な月になります。
特に8月9日は。しかし、そのことはここに書くにはふさわしくない問題ですので、15日のことに限定して書きます。
今回、義母の初盆で長崎に帰って来ました。
ご承知でしょうが、長崎のお盆の風物詩はなんと言っても「精霊流し」(しょうろうながし)です。
長崎出身の さだまさし の同名の唄がヒットしましたが、8月15日に初盆の家庭は、独特の舟を造り、亡くなった家族の魂を黄泉に送り返すという風習があります。
爆竹を鳴らし、鐘の音とともに舟を出し、長崎港まで運んで行きます。
観光で来た人にとっては、単に五月蝿いだけだと閉口する向きもあるようですが、長崎人にしてみれば、爆竹の音に亡くなった家族への寂寥をひしひしと感じるものです。
まさに、さだまさしの唄に現されているような切ない想いが、華やかな爆竹の音だからこそ、しみじみと伝わります。
大きな舟に目を奪われている中で、観客のそばを小さな舟が少人数の家族に担がれてひっそりと運ばれているのを目にすると、きっと赤ん坊か小さな子供が病気か何かで亡くなり、家族が心を込めて作ったのだろうなと様々なことが瞬時に浮かび、のどの奥がクンと詰まり鼓膜がブルブル振動し、家族のそのときの心情が感じ取れて思わず涙が滲んでしまいます。
そうした舟を目撃したときには、心の中で手を合わせます。
初盆の家庭は、このように基本的には精霊舟を作ります。
女房の実家は、数年前に義父、義兄を同時に亡くし、その時には精霊舟を出しましたが、その際の費用は結構なものとなったため、今回は舟を作らず、義母の魂はお寺の造った精霊舟に乗せてもらって運んでもらいました。
このうように、舟を造れない初盆の家庭のために、町内会やお寺、病院などでも舟を作りますので、薦にお盆のお菓子などを包んで流してもらいます。
これを「薦流し」(こもながし)といいます。
私が子供の頃の精霊流しの情景は、今でもそうですが、町内で精霊舟を作り、夜の7時頃から港まで運びます。市内のあちらこちらからほぼ同じ時刻に一斉に運んできますので、当時は一箇所しかないメインストリート(県庁坂)に市内の全ての精霊舟が集中するため、なかなか動かせない状態になります。
動かせないで止まっている時に、爆竹やいろいろな花火に火をつけます。少し動いては止まりの繰り返しで、止まっている時間のほうが遼に長く、警察も速く動かすように促しますが、このときばかりは警察の言うことには誰も聞きませんし、警察のほうにも半ば諦め気分の表情が見てとれるのは面白いものです。
そんな調子ですので、7時ごろ出発しても帰ってくるのは12時過ぎてしまうことも多く、その後にスイカなどを食べたのが子供の頃の楽しい思い出になっています。
この時と大晦日の年に2回だけが夜更かししても叱られない、子供にとってはワクワクする特別な日でしたが、現在では危険防止のためか、舟の通る道は警察の許可制になっていて、県庁坂を通れるのは決められた方面の精霊舟だけで、それ以外の方面の舟は県庁坂以外を通るように指導され、夜の9時頃には舟も少なくなってしまうような状況を見ると、何か寂しさを感じてしまうのは、長崎人の特質でしょうか。
ツキ(’03.05.22)
事務所紹介にも書いていますが、私がこの地で86年に独立してまもなく、まる17年になります。
縁もゆかりも無い土地での独立でしたので、当初は5年持つかどうかという予想での博打みたいなものでした。
それでも、自分を試して見たく、当時は子供もまだ小さいので失敗したらやり直せばいいやといった半ば能天気な気持ちでしたが、とにかく何をしていいものやら全く分からず、知り合いも無い状況でしたので、毎日、読書三昧でした。
しかし、それも半年を越しても状況が変わらない事態に、精神的にはかなり参ってきました。
世間では空前の好景気の始まる前兆で活気に満ちていて、それからのバブルの好景気は皆さんのご存知の時期でしたが、全く蚊帳の外に置かれていました。
何かをしなくてはと強迫観念に狩られて車で飛び出してみてみるものの、どこに行っていいものやら途方にくれて空しくガソリンを消費して帰ってくるような日々が続きました。
それでも何とか持ちこたえられてきたのは、家族の理解(あきらめ?)と元来の能天気な性格からでしょうか。
バブルの好景気の波にさらされなかったことも、幸運だったのでしょう。
長女が幼稚園に入ってから、同じ幼稚園に入っている父兄から住宅の依頼が入ってきたのが始めての仕事でした。それが「筑紫野の家」です。
その住宅の工事中に、高校の先輩から依頼が来ました。それが「小郡の家」になります。不思議なもので、それまで全く仕事のかけらも無い状況だったのが、このように立て続けに依頼が来て、
両方ともロウコスト住宅でしたが必死に取り組みました。
そんなこんなで、家族を犠牲にしながら(今でも(^^ゞ)ここまで生き残りました。
建築家になりたくて、しかしなかなか建築家の域に到達できないままに家計は困窮し、家族の生活にも苦労をかける状況に、もう諦めようかと思ったことは数限りなくあります。
眠れなくなったことも数え切れません。
なんてツイていないんだと嘆いたことも数知れません。
しかし、あるときふっと気が付きました。このように書いてきた状況にあるにもかかわらず、しかもいまだに恐ろしく仕事の少ない状況にもかかわらず、曲がりなりにもまだ設計事務所として存在できているということに。このことはすごいことだと思いました(ただ単に鈍感だという陰の声あり。聞こえませぬ聞こえませぬ)。
それと同時に、生かされているということを実感できるようになってきました。
過去に死ぬ思いをしたことがありますが、皆さんも同様のことと思います。
子供の頃から病気の巣窟といわれるほどで、生まれて間もない頃は、当時の赤ん坊が多数かかった流行り病(と母から聞かされましたが、ひょっとしてポリオのことのような気がします)にかかったそうで、私ともう1人が生き残ったようです。
そのとき、母が死ぬ子の思い出として写真に撮っていたのが残っていますが、我ながら今にも死にそうな顔をして写っています。
そうやって生き延びた子が、今でも親に心配をかけて両親のボケ防止に役に立っている親孝行?な中年になっています。
小学校の頃は、高台の公園で坂道を走り出して止まらなくなり、崖から飛び出したことも有りました。
空中に浮かんだとき、その崖の高さは知っていましたので、ああ、死んでしまうなと覚悟しましたが、幸いにも3mくらい下に一部だけ出っ張りがあり草も生い茂っている場所に落ちました。
思いっきり尻を打って気絶しましたが、こうやって生き延びています。
こうしたことも思い返して見ると、生かされているような気がします。
どういう目的で生かされているのかは全く分かりませんが、そのように考えてみれば自分はツイているんだと気が付いたのです。
むちゃくちゃな状況で独立したにもかかわらず、17年目を迎えることができるということ。これから先も全く不透明ですが、何が起きてもそれは将来のための布石なのだからツイているのだと思えるようになって来ました。
物事には、光があるところには必ず影が生じます。
ツイていないとぼやく間は、光が自分に当たらないという不満から起きる感情なのでしょう。
影のほうに目をやると、華やかさは無いにしても生かされていることに気が付くと、ひどい影の部分も無いような気がします。これって、本当にツイているってことですよね。
ビフォアーアフター(’03.05.03)
TVの番組で、私の周りで結構見ている人が多いのが「ビフォアーアフター」という、リフォームの番組です。
私も以前は何かの参考になるかと思い見ていましたが、工事の内容と示された金額を見て???と、?マークが頭の上に何十個も立ちました。
この番組のおかげで設計事務所が身近に感じてもらえれば大いに喜ぶべきことですし出演されている建築士が真面目取り組んでいる姿勢には共感も覚えますが、それにしてもどう見ても工事金額はTVで示された金額の倍は行っているはずだと思うケースが多く、何でこんな金額でできるの?と、驚くばかりです。
しかも、建築基準法の解釈はどう考えているのかしらと思うようなことも時折出てきます。
あきらかに市街地にある木造住宅の屋根に光を取り入れるためにトップライトを新しく付けるのはいいのですが(このことは、私のようにロウコストの住宅を日常的に設計している身にしてみれば、結構コストがかかることは身に染みているのですが)、基準法に要求されているはずの「網入り硝子」を取り付けるような防火仕様にしていないどころか、枠も木製で構成している始末。その地域は特別に免除されているのかしら、と思うような事例も紹介されています。
なんでだろー?
こんな風に思うのは私だけではなさそうでしたので、やはり建築の専門家には少々疑問に思うような番組のようです。
そうした疑問を幾つも持ちながら見ることで結構ストレスが生じて来ますので、最近は見ることも少なくなってきました。
そこで余計な心配をしてしまいました。TVに出られた設計事務所に同じような依頼があった場合、一般の人はTVで出来ているのだからと思うのは当たり前で、同じ金額で依頼されても受けられるのかしらと。
翻って私に同じような依頼が合ったとして、「いやぁ、あの金額では困難です。」と答えたら、どういう反応が来るのかしらと、まだ来ない仕事に余計な心配までしてしまいます。
でも、心配してもいいから、仕事がくることがありがたいなぁ。
それにしても、出演された設計事務所の方々の大工道具の使い方の上手い事。私は釘を打っても自分の手を打つ始末です。情けなや・・・・
最近の傾向として、TVで設計事務所がかかわった質の高いポリシーの有る住宅が取り上げられる機会が増え、喜ばしい限りです。敷居が高く思われがちな業界に、さらに親しみやすさを工夫する努力が必要だろうと感じた次第です。
住宅に対する考え方
家族のあり方の変化とともに、住宅が従来持っていた性格が近年においてずれてきているような気がします。
大家族時代では様々な生活の知恵や生き方などの子供にとってのお手本が身近に有り、そうしたことを見聴きすることで伝承されて行くことで、家族の中で誰もがかけがえのない存在であるということをおのずから認識し、そのような家族の生活を支える器として住宅が存在していました。
皆が帰るべき場所(巣)として家族を守るためのシェルターでした。
ところが、近年、家族の下から離れ社会に出た子の世代は、自らのシェルターを自力で構築することが生涯の大仕事になっています。
土地が財産であると認識する国民性にも原因がありそうですが、シェルター構築のための土地を求め、そしてその要求に応えるためにわが国では無秩序に山を削り海を埋め立て、新たな住宅地を生み出してきました。
しかし庶民に手に届く土地は勤務先からは絶望的に遠距離の場所でしか存在せず、必然的に遠距離通勤を余儀なくされ、夢のマイホームには寝に帰るだけの生活になりました。
さらに経済的理由以外にも女性の自立意識の高まりから主婦も勤めに出るようになり、ますます家族全員が集う時間が少なくなりました。
子供たちは無人の家に帰り、両親が帰ってくるまで一人で過ごさざるを得なくなってきました。
こうした状況は、本来家族で育むべき子供たちの情操面での発育不足による少年犯罪の一因と考えられます。
土地の取得が困難になってしまった結果、親の土地に親と一緒に住む2所帯住宅のケースも近年増えてきています。
しかし以前のように特定の場所で世代を超えた家族が談笑するという住宅とは異なり、親の世代、子の世代を明確に区分した住宅が要求されています。
このように考えてくると、現代の「住宅」は、大家族時代の様相を大きく逸脱し、子若しくは孫が巣立つまでの「仮の宿」的なものになってきつつあるということは受け入れざるを得ない状況のようです。
このように、住宅の設計は社会問題と密接に結びついたテーマであるということが見えてきます。
こうした状況を受け入れ、各家族が内包している家族の結びつき、夫婦の結びつきといった問題に対し、依頼者に対して問題提起や提案することが設計者に要求されて来るのではないでしょうか。
もちろん設計者は建築の専門家であっても家庭のカウンセラーでありえませんが。住宅の設計は、普遍的な一般解はありえず、特定の家族に特化したものが要求されることは明らかです。
しかし、個人の都合で作られる住宅であっても、マッスとして地球上に存在する限りにおいては、公共的なスピリッツも必要です。
従って街並み、環境問題等において積極的に取り組むべきことが設計者、建築主に要求される度合いが強まるものと思われます。
私は、「記憶」「遊び心」をコンセプトとして設計に取り組んでいます。
子供にとって幼い頃にすごした空間は、記憶の中に刷り込まれます。そして無駄のない空間は合理的ではあっても、愛着の持てないものになってしまいます。
住宅はそういう意味でも人を育て、人格形成の一端にかかわっていると信じています。
建築は設計者の作品?
高邁な建築理論を難解な言葉を駆使し、レトリックを多用することで自らを高度な建築家であるかのように振る舞う人が多いことも残念です。
そうした行為が一般の人から、理解できない、敷居が高いと捉えられていることに気がつかない裸の王様になってしまっています。
建築は誰のものか、という原点をもう一度考えてみる必要があります。
よく建築家の「**作品集」と書かれている雑誌をよく目にしますが、私にはそれが不思議で仕方ありません。
建築は確かに芸術的な要素は重要ですが、では建築は設計者のものなのでしょうか?
絵画とか彫刻、陶芸などの純粋芸術のカテゴリーでは作家だけの感覚で作り上げることが可能であり、作風が好きな人が購入することで成り立っている分野では、いわゆる作品として取り上げることにはなんら異存はありません。そこには作品を作り上げるまでのもろもろの要因は全て作家個人にゆだねられているのですから。
では建築はどうでしょう。
建築家が自ら使用する事務所・住宅であれば作品と呼んでもいいかもしれませんが、基本的には建築は費用を出す依頼主が存在し、依頼された建築家は依頼主の要望に答える職業上の義務があることは、人権を守る義務がある弁護士と同じではないでしょうか。
弁護士が依頼者の意向を無視して自分だけの考えで裁判をして、人権にかかわる重大な判決が出たら大変な問題になることは明白です。
このことは人の財産を委ねられる建築においても同様ではないでしょうか。
建築は、まだ成果品として存在しないモノに対して依頼者が金を出すという決定的な現実がそこにあります。
したがって依頼した人の希望、要求を無視して設計することは、ごく一部のその建築家のファンの人のための設計をすること以外考えられません。
建築家故村野藤悟氏曰く、「99%依頼主の希望を満たし残りの1%に村野を表現します。」(言い回し方はご容赦のほど)。
これが設計者として持つべきスタンスではないかと思います。
依頼主の意向を考慮せず、自分のために自分のための建築を作る売名行為を認めることは出来ません。
建築は依頼主・設計者・現場の3者による強